限界ニュータウン探訪記

資産価値暴落中! 千葉・茨城の投げ売りニュータウンで意識低い系田舎暮らし

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売地

 先日、読者の方より、僕が所有する横芝光町木戸の物置用地からも遠くない別の限界分譲地に、44坪で10万円の売地情報が、レインズ(不動産流通標準情報システム)に掲載されているとの情報を頂いた。物件広告には100万円の売値が記載されているのだが、但し書きで現在は10万
『横芝光町木戸  限りなく無償に近い分譲地』の画像

 70年代半ばから開発が始められた千葉県の限界分譲地は、既存の農村集落からは離れた山林や田畑の片隅に位置するものが多い。元々は土着の地主が所有していた山林や農地を、開発業者が取得して開発を進めたものだが、地主にしても、自宅から近い田畑や土地を優先して手放す
『山武市松尾町古和  農村集落の合間に出現した「ニュー集落」』の画像

 突然のご報告となりますが、おかげさまで、当ブログは2020年5月22日付で、総訪問者数が延べ20万人に到達しました。開設からおよそ2年半、どこに需要があるのかもわからないまま細々と更新を続けてきましたが、地域の文化や名物を何ひとつとして引き出せていないこの内容で
『【総訪問者数20万人達成記念】20万円の限界分譲地探訪記』の画像

 壮絶を極めた成田空港建設反対運動の歴史において、今日もなお語り継がれる、もっとも凄惨な事件のひとつに「東峰十字路事件」というものがある。これは空港建設予定地の第2次強制代執行が開始された1971年9月16日、成田市天神峰において空港反対派と機動隊が衝突し、先鋭
『成田市川上・新田  空港反対闘争の最前線に出現した分譲地  』の画像

 当ブログは原則として、今現在の限界分譲地の模様と問題点をお伝えするというスタンスなので、例えば当初の開発業者名など、既に過去の時代のものとなった情報の収集にはあまり主眼を置いていないのだが、記事によっては多少は歴史的経過に触れる必要があることもあり、そ
『1987年の限界分譲地の折込広告』の画像

【はじめに】 この記事は、当ブログの開設間もない時期に作成した古いものですが、先日、コメント欄にて、当団地の住民の方から、記事内におけるいくつかの錯誤のご指摘を頂きました。改めて読み直してみると、その錯誤を修正するには、事実上書き直しに近い改訂を要し、加
『はにわ台団地/ハニワ台ニュータウン』の画像

 現在は周辺自治体と合併して山武市となった旧山武町は、古くから山武杉の産地で知られる、広大な杉林を抱えた丘陵と谷津田が残る静かな田舎町であるが、この町も、成田空港の開港前後からすさまじい乱開発の嵐が吹き荒れた町のひとつである。農地としても利用されていなか
『さんぶの森ホープヒルズ』の画像

 Twitterでは既にお話ししているのだが、僕はここのところ、このブログのための分譲地調査はお休みしている。理由は、実は自分自身の住宅用地の取得に向けて動いていて調査まで手が回らないためだ。そもそもこのブログは、もともと北総エリアで住宅用地や中古住宅を探し続け
『八街市沖 投げ売りが続く最果ての分譲地再訪 』の画像

 千葉県北部の太平洋側沿岸には、既に語るまでもなくご存知の通り、九十九里浜と呼ばれる、およそ60㎞にも及ぶ広大な砂浜が広がっている。夏になれば、その砂浜の各所で海水浴場が設置され、関東各地から行楽客が訪れるマリンレジャーの一大スポットとなるが、実は近年、九
『横芝光町木戸 海水浴場を失った海辺の分譲地』の画像

 これまで当ブログでは、主に成田空港周辺の旧分譲地を探索してきた。それらの分譲地のほとんどは、空港特需を見込んだ投機目的で造成・分譲されたものだが、千葉県の超郊外の分譲地は、何も空港周辺にだけあるのではない。千葉県の外房側、九十九里浜に近い海岸エリア、具
『九十九里町作田  小屋用地として再利用される旧分譲地』の画像

 前回まで数回にわたって投稿した、多古町や旧栗源町の分譲地は、「ニュータウンと農村の境界線 多古町編」の記事でもお伝えしたように、Twitterで知り合った方と同行して調査したものだが、その際、併せて神崎町の清和団地も訪問した。(「清和団地」参照) 清和団地は、
『清和団地再訪  都市計画区域外の分譲地』の画像

 出沼(いでぬま)団地は、前回紹介した新堤台の分譲地から直線距離でおよそ1キロほど南に位置する、やはり70年代に造成された旧分譲地だ。こちらは千葉交通のバス路線からは少し離れ、多古町のコミュニティバスのバス停が設置されているが、「出沼団地入口」バス停から団地
『ニュータウンと農村の境界線 多古町編② 出沼団地』の画像

 当ブログで紹介している北総の限界ニュータウンは、そのほとんどが農村や山林の中にポツンと位置する陸の孤島のような立地だが、関東の住宅団地の開発の歴史を振り返れば、今でこそ住みたい町ランキング上位の常連に位置するあの人気の住宅地だって、元は農地や山林を潰し
『ニュータウンと農村の境界線 多古町編① 新堤台分譲地』の画像

 八街は、農地も多く残る田舎町であるのは確かだが、明治時代の開墾地である旧八街村エリアにしろ、江戸時代からの散村が点在する旧川上村にしろ、大方の平坦地は農地として切り開かれており、あとは雑木林などが残るのみで、元々台地上に位置するため山や河川もなく、雄大
『八街市用草  キャンプ場に隣接する分譲地』の画像

 北総、と言うより千葉の田舎は、幹線道路や高速道路のインターチェンジ付近にラブホテルをよく見かける。僕はラブホテルの業界事情には詳しくないのだが、自治体やエリアによってその頒布状況にはばらつきがある。例えば僕が暮らす八街市は、市街地から遠く離れた市南部エ
『八街市東吉田  ラブホテルを取り囲む分譲地』の画像

 東金レイクサイドヒル八坂台は、東金線の東金駅から北西におよそ2㎞の位置にある住宅地。2㎞というと比較的近く感じるが、その道程のほとんどが丘陵の斜面に設けられた勾配の強い道路で、駅徒歩圏内と言うには少し厳しい立地条件だ。近隣には日吉台という、バブル期に居
『東金レイクサイドヒル八坂台 (クレオの杜)』の画像

 イーストブルータウン八街は、八街駅から南西におよそ3㎞。江戸時代は「東吉田村」と呼ばれた、旧川上村エリアの東吉田地区にある。川上村は1954年に当時の八街町に吸収合併されて消滅したが、町域の大半が明治以降の開拓地である八街町に対し、川上村は古くから続く旧来
『イーストブルータウン八街』の画像

 前回紹介した山武市横田の森の中の分譲地を、更に最寄のバス停から遠ざかる北東方向へ進んだ先にも、より一層寂れた誰得ニュータウンがある。 元々快速もほとんどなく(早朝1本のみ)、不便で都心までの通勤には不向きであるとの評判である総武本線の八街駅から、1日数便の
『むつみ台団地/火野口台団地』の画像

 山武市の最北部に位置する横田地区。人知れず山武市のコミュニティバスの路線も姿を消し、交通手段は乗り合いタクシーに切り替えられ、もはや建売販売の業者からも忘れられつつある寂しい分譲地がポツポツと点在する。住宅の数より、更地に掲げられた草刈業者の看板の方が
『山武市横田 森の小路を抜けた先の小さな分譲地』の画像

(2018年6月8日追記) コメント欄よりご指摘を受けていますが、この記事には事実誤認による誤った情報がいくつか含まれております。追記として訂正もしてありますが、再調査も行っておりますのでそちらも併せてご覧いただければと存じます。 住んでいる方にはのっけから失
『横芝光町宮川 川沿いの忘れられた分譲地』の画像

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