メディアと視覚効果

旧サブブログ: 海辺の限界分譲地

 YouTubeに動画を投稿したことで、Twitterのフォロワーさんからもご感想をいただく機会が多々あったのだけど、特に多かったのが、文章では見えてこなかった、放棄分譲地の周囲の模様や全容などが、映像でよくわかった、というものだった。

 僕は、基本的に現地を訪問してから記事を書いているので、当然どの分譲地について書く際も、頭の中に現地の模様の光景を思い浮かべることができるが、考えてみれば少なくない読者の方は、現地の限界分譲地など一度も見たこともないわけである。

 自分だけでわかっていることを、普遍的なものとして錯覚して書いてしまうのは、未熟な物書きのありがちな失敗だが、僕のメインブログは、普通の読み物よりは添付画像を多くしてあるつもりで、それでも伝えきれていないところに、映像メディアには敵わない、文章表現というものの限界を感じてしまう。もっともそれ以上に、単に僕自身の文章力や表現力が力不足なだけ、というのもあるのだけど。

 だが、文字メディアは文字メディアなりに、視覚面に大きく頼っている面もあると言える。すでに周知の通り、2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻して、その模様が全世界のメディアで一斉に報じられたわけであるが、この報道も、その手法によって受け手側へのインパクトは大きく異なる。

 僕はテレビを見ないので、最初にその報道を目にしたのはネットニュースである。世界情勢について特に通じているわけでもない僕だけど、ロシアとウクライナがクリミアの一方的併合などを巡って長年険悪な関係にあり、特にここ数日は一気に緊張が高まっていたことくらいはもちろん知っていた。

 しかし、実際に侵攻の報せを目にして、もちろん驚いたけれども、真にその事態の深刻さを実感したのは、ネットニュースではなく、翌朝のコンビニの新聞スタンドに並んでいた、巨大な白抜き文字の見出しを掲げた新聞を目にしてからだった。

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 僕が年齢的に、ネットがなかった時代を実体験として過ごしているからというのもあると思うが、重大事件が発生したときに新聞が採用するこの白抜き文字の見出しは、報道の重大性を視覚的に強く訴え、一見してただならぬ雰囲気を醸し出している。だからこそ新聞もこのような演出を採用しているのだろう。

 インターネット系のメディアに押されて、新聞や出版などの活字メディアはすっかり縮小してしまっているが、まさかスマートフォンの小さな画面が目一杯埋まるほどの大文字の見出しを使うわけにもいかないし、文字はこのまま、映像メディアの圧倒的な視覚性を前に、ただ衰退する道しか残されていないのだろか。

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