YouTuberになるということ

旧サブブログ: 海辺の限界分譲地

 YouTubeの投稿を始めてからというもの、メイン、サブ共にすっかりブログの更新が途絶えてしまっている。本の校正も同時進行で行っていて、目下、独立した記事を書けるほどの取材に出ていないというのが一番の理由だが、YouTube動画を生計手段の一つとして取り組んでいる以上、どうしても生活費の捻出を優先せざるを得ないというのもある。

 しかし、それと同時に、Twitterの投稿頻度も確実に下がっていると思う。元々はブログの宣伝のために始めたTwitterも、今や単なる趣味であり、普段の日常の出来事や思いを雑多に語っているだけだ。

 一方で、メインブログや動画では、僕はあまり自身の私生活やキャラクター性を前面に出していないので、Twitterくらいはいつも通り行うくらいのネタはあるのだが、最近はツイート前に、果たしてこれはツイートすべきかどうか思案することが多くなっている。

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 それは別に炎上を恐れて神経質になっているのではない。例えば、以前であれば、ある分譲地を見に行ったら、ブログ公開前であろうと、何も気にせず、とりあえずTwitterでもその模様を公開していた。元々Twitterのフォロワーさんとブログの読者さんは層が異なるし、ブログ自体が仕事ではないため、単なるツイートネタくらいにしか捉えていなかった。

 たが今は違う。YouTubeチャンネルに限らず、本であれ、楽待新聞の記事であれ、見聞の成果は仕事の成果であり、商売道具になってしまっている。依頼を受けた仕事であればむやみやたらに公開するわけにはいかないし、YouTubeであれ、それを世に出して商品とするからには、動画の楽しみを損なうような、フライングの事前情報は慎まなければならない。

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 また、見に行った分譲地のすべてをすぐにネタとして消化しているわけではなく、当初は単なる見学のつもりで訪問した分譲地でも、後に新情報を掴み、数ヶ月後に記事として作成することもある。訪問の時点で、そこがネタになるかどうかは僕自身でもわからない。いきおい、まずは一律に非公開とせざるを得なくなってしまうのだ。公開できるのはあからさまにどうでもいいよう話ばかりになる。

 こうなると、特に最近は分譲地に関しての趣味しかなかった僕は、何も呟けることがなくなってしまう。身の回りの出来事にしても、これはこれで、もしかしたら将来的にサブチャンネルを開設したらネタになるかも、などという余計な思惑がつい頭をよぎる。

 僕は、そんなに自分自身を強調したチャンネル作りを目指しているわけではないけれど、それでもYouTuberになるということは、つまりこのように、我が身とその日常をもを切り売りするということなのだろう。

 だいぶ前のものになるが、YouTubeの広告のキャッチコピーに「好きなことで、生きていく」というものがあった。そんな売り文句に幻想を抱けるほど、僕はもう若くなくなってしまったが、せめてこの選択を後悔することのない程度には、頑張らなくてはいけないね。

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コメント

  1. アラカン、男性 より:

    最近you tubeを見ており、今日顔出しされている事を知り少々驚きました。
    不動産業界は素人ですが、地上げ屋の世代なので正直そんな印象もあり、、
    「月夜の晩だけやと思うなよ」って新撰組かよ()のセリフも、伊丹監督も。
    動画もブログも興味深く拝見させていただいており、フムフムと知的好奇心を満たされています。ありがとうございます。
    申し訳ありませんが、投資には興味がないのでご縁はないのでしょうが、応援しております。

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