宝島社が発行する『田舎暮らしの本』2021年2月号誌上における企画「第9回住みたい田舎ベストランキング"子育て世代が住みたい田舎部門"」において、全国第8位にランクインしたという香取郡多古町。多古町はそれ以前よりも、成田空港に近接した立地をセールスポイントとして、町内への移住の呼びかけを盛んに行ってきた自治体であるが、そんな多古町のはずれに位置する南玉造地区の、そのまたはずれに小さな放棄分譲地がある。
その分譲地は、一度は造成工事が施された形跡はあるものの、地番図上の区画割りを見る限り、本当にただ遊休地を適当に切り刻んで分筆し乱売しただけで、現実にとても住宅用地として使える代物であるとは思えない。実際、町道から横に伸びる私道は道路認定がされていないため、町道沿いの区画以外は建築不可である。まあ、はっきり言ってしまえばほとんど原野商法に近いものだ。
今年(2021年)の2月に、僕はあるきっかけでこの分譲地の存在を知り、一度見学に行ってみたのだが、確かにほとんどの区画は完全に放置されてはいるものの私道の形跡は残されていて、季節は冬という事もあり、一応難なく中に立ち入ることができた。しかし、どの区画も猛烈な笹薮に覆われていてまったく足を踏み入れる余地もなく、事前知識がなければそこが分譲地であったことなどまったくわからない状況であった。
そんな中、奥の一区画だけ、草刈された形跡があり、おなじみ日栄不動産の看板が転がっていた。その区画だけ縁石の大谷石も一部が辛うじて露出しており、ここが確かにかつて分譲地であったことを今に伝えていた。以前も同じことを書いた気もするが、率直に言って、こんな放棄分譲地の一区画だけくり抜くように草刈りを行ったところで、この土地の資産性が上がるとはとても思えないし、別に草刈を行わなくても周辺住民から苦情が来るとも思えない。
しかし仮にもし、この区画の草刈りのために立ち入る者がいなくなったら、それこそこの分譲地はいよいよ元の原野に還ることになり、やがてそう遠くない将来、この分譲地は航空地番図や公図以外では、その所在を特定することも困難になるものと思われる。草刈り業者の看板は、そこが分譲地であることを周知させる最後の生命線でもあるのだ。
ところが、今回の記事を書くにあたって、同年6月に改めてもう一度現地を訪問してみたところ、初夏だけあって私道もろとも更に猛烈な雑草に覆われていたのは当然だとしても、先述の草刈り済みの区画もまた、既に藪に覆われてその所在を視認することが困難になってしまっていた。しばらく人が立ち入った気配も見られないその分譲地の侵入の模様を、今回は珍しく動画で撮影してきたので興味のある方はご覧いただければと思うが、見ての通り、それこそここはもはや分譲地でも何でもない、単なる原野に戻る過程にあると言える。
踏査の模様。
草刈業者が管理地の草刈りを行うのは、通常は1区画につき年2回ほどなので、たまたま草刈りが行われていないタイミングで訪問してしまっただけなのかもしれないが、いくら何でもこの現況では、もはや業者自身も土地の特定が困難なのではなかろうか。何らかの理由で管理が行われなくなってしまった土地でも、看板だけは撤去されずに残されている光景はよく目にするので、先に上げた画像にある通り、看板が抜かれて寝かされた状態で放置されていたことから考えても、ここは既に管理が終わってしまっているのかもしれない。
画像や動画を見てもお分かりの通り、はっきり言ってこの放棄分譲地は、今更改めて再利用を模索する価値のあるものでは到底ない。ここは多古町でも極めて辺鄙な地域で、周囲に商業施設もなければ学校も遠く、住宅地としての需要は0であり、これほどまでに笹薮に覆われた今となっては、家庭菜園用地としても不適当だろう。もし、先述の区画が本当に草刈を止めてしまっていたとしたら、ここはいずれ雑木林に代わっていくだけであり、土地の在り方としては、それが一番自然で合理的なものであると思えてくる。
しかし、忘れてはならないのは、いくらかつての旧分譲地が藪に覆われ、縁石の大谷石も土に還り、一団の雑木林に還って行こうとも、不動産登記法に基づき登記された所有者情報や公図の形は、変わらずそのまま残り続けるという事である。これはこの多古町の放棄分譲地に限らず、全国津々浦々に今も数限りなく残されていると思われる原野商法の土地全てに言えることなのだが、いくら目下再利用の予定がないからと言って、こんな細切れの無用な登記情報や公図を、今後も未来永劫そのまま放置するつもりなのだろうか。
限界分譲地の中には、長年の風雨や災害によって法面が一部崩落し、開発当初とは地形が異なってしまっているところもあるのだが、当然のことながら再測量などは行われていないので、今では文字通り宙に浮いてしまっている区画もある。それでも田舎の不動産は公募売買が基本なので、あくまで現況より登記簿上の記載が優先される。
我が国において、不動産の登記制度が開始されてから130年が経つ。その後日本では、それこそ「改造」の名に相応しいほどの大掛かりな開発ラッシュに見舞われた。全国各地の原野や山林は膨大な数の分筆が行われ、枝分かれした土地のすべては、異なる地権者の私有地となり、そしてそれらの土地がてんでバラバラ好き勝手に売買され、抵当に入れられ、時には競売に掛けられたり、あるいは相続人もなく国庫に入ったり、所有者情報も散逸したまま放置されてきた。すべての民間の私有地の行く末は、今もなお、登記簿上の「所有者」の思惑のみに委ねられている。
僕にはこの現状が、どう考えても不動産登記情報の、ある種の「疲労」であるとしか思えないのだが、行政は一体、このズタズタに切り刻まれた土地情報を、この先の未来、どのように片付けていくつもりなのだろう。相続登記の義務化が鳴り物入りの政策であるかのように語られているが、それは裏を返せば、相続の登記さえ所定の手続きを経て行われていたら、行政は引き続き細切れの限界分譲地などに関心を払うことなどないということになる。
登記制度は不動産登記法という法律に基づくものであり、一地方自治体の裁量でどうにかなるレベルの問題ではないのはわかる。しかし、現実として、不要な土地の寄贈などほとんど拒絶される田舎の不動産市場において、その処置の責任をすべて民間任せにするというのであれば、せめてその民間レベルで、もう少し土地の転用や整理を促すための、行政側からの何かしらのサポートがあっても良いのではないか。民間の私有地の責任を取らないのは立場上仕方ないにしても、民間が責任を果たすうえで障壁になるものを取り除く努力もしないというのでは、それは明らかに怠慢だろう。
所有者情報が散逸する恐れの高い放棄分譲地についてはその所有者情報を明確にし再合筆を進めていく、今も住民が住む分譲地については、管理不全に陥った区画の所有者に、例えば「空き地バンク」といった制度を設けて近隣住民への売却を促す、連絡先を公開するのは個人情報保護の観点から難しいであろうから、利用を希望する近隣住民との連絡を取り持つ、などなど、せめて少しだけでも現状を修復する努力があってもいいのではないか。それが、かつての開発ブームの熱気に浮かれて、際限のない乱開発を赦してしまった自治体が、今果たすべき責務なのではないだろうか。
原野に還りつつある放棄分譲地へのアクセス
多古町南玉造
- 東関東自動車道大栄インターより車で約20分
コメント
>相続登記の義務化が鳴り物入りの政策であるかのように
コレって、これからの登記にだけ適用でしょう?
今までの事は放置って事ですよねぇ・・・(苦笑)
せめて、需要の有る宅地ぐらい、相続人不明(おそらく固定資産税も未納)なら
強制収用出来るぐらいの事をしないと、問題解決しないんじゃないですかね?
使い道なんてほとんどない様な場所を開発して販売したのがそもそもの間違いですよね。
きちんとした住居として需要を見込んだ上での開発なら結果が出なかったとしても仕方がないけれど、金に目が眩んで後々問題を起こす某国の様に売るだけ売って、後は知らないってやったら問題しかないわけで。
バブルなどで投資が過熱したなら国民にも責任があると言われればその通りではあるんですけど、結局どう使おうにも使えないなら自然に還るだけだし、開発して分筆しただけ悪化させてるだけだという……
時代が悪かったのか、しかし法を整備しないとまた同じことが起きないとも限りませんし、亀の様に遅い対応していたら今度も対処しきれないかも知れませんね。
事件が起きてからでは遅い、と言われてしまう警察のように。