旧大栄町は、平成大合併の際、芙蓉邸街やパレスガーデン成田を抱える旧下総町とともに成田市に吸収合併されて消滅した自治体である。郊外型のロードサイド店舗が集まる商業エリアもない小さな町であるのは下総町と同じだが、下総町と異なり旧大栄町域に鉄道路線はない。これまで当ブログで紹介してきた旧大栄町の分譲地には「リバティヒル500」「にっぽり団地」の他に、臼作の放棄住宅地などがあるが、このほかに、紹介はしていないが大栄ニュータウンという比較的大きな分譲地もあり、やはり下総町同様、全体としては農村でありながら分譲地のスプロール化が進んでしまった街だ。
今回紹介する「成田リバティ55団地」は、「リバティヒル500」から少し南に向かうと、谷津田に面した丘陵上の斜面をに見えてくる。名前がリバティヒル500に似ているが同一の開発業者によるものだろうか。名前はともかく、南に向かうと丘陵上に見えてくるということは、つまり北向きの斜面を造成して造られているということであり、今日の感覚では全く理解しがたい話だが、70年代の分譲地は、日照性などまるで無視した、北向き斜面の分譲地を時折見る。
利便性を重視した都市部の分譲地ならともかく、一見すればもっと宅地に適していそうな地勢の土地など有り余っているように見える北総で、わざわざこんな場所を造成して分譲しているというのは、いかに70年代か土地開発ブームだったと言っても、当時の開発業者が、それなりに山林の買収には骨を折った結果なのではないかと思われる。首を縦に振らない地主が多い中、何とか買収出来た山林は、そこが北向きであろうと何であろうと選り好みもしていられなかったのではなかろうか。まあ、単に丘陵の北側斜面など使い道もない土地を二束三文で買い叩いて、それを非人道的な高値で売り捌いた可能性もあるのだけれど。
当時はグーグルマップなどという便利なものも勿論なく、高低差が分かりにくい手書きの図面で販売が行われたのだろうが、買い手側もあくまで投機目的で、実際の居住性に頓着せずあまり慎重でない方が多かったのだろう。今日においても投資用のワンルームマンションを、内見もせずに購入される方もいると聞くので、更地であれば尚更だったかもしれない。土地にせよマンションにせよ人に売ったり貸したりするつもりがあるのなら、まず自分の目でその居住性を確かめなければ僕などはとても恐ろしくて金を払う気にはなれないが、当然の結果として北向き斜面の分譲地は居住も進まず、更地が多く残されている。
分譲地内に建つ家屋は現在8棟。その全てがバブル期前後の建築で築浅の家屋はなく、他は空き地のままだったり、太陽光パネルが置かれたり、車両置き場にされていたりといった状況である。単に北向きというだけでなくそもそもこの分譲地は勾配も急で、丘陵の上部は鬱蒼と茂った山林のため本来一番人気が高い筈の南端の街区の日当たりが極端に悪く、すべて未利用地であるばかりか、完全に放棄されている。擁壁の下には、他ではとっくに溶けて消え失せた先月の雪がいまだ残されていた。
南端の区画の擁壁は、既に分譲地ではなく産業遺産のステージに到達しており、徒手空拳で足を踏み入れられる状況ではなく、どこまでが分譲地なのか判然としない。ここはまだ現役の住宅地にもかかわらず、緩やかに元の山林に戻りつつある。にっぽり団地も、団地内の一部が封鎖され放棄されており、どうも旧大栄町の分譲地は状態の良くないところが多い。否、状態が良くないどころか、崩壊寸前と言った方が正しいかもしれない。
空き地は管理されていないところがほとんどだが、先述のように太陽光パネルが設置されている区画もある。しかし、分譲地は北側に傾斜しているのにパネルは当然のことながら南に向けて構築されているので、強烈な違和感がある。幸い、周囲の区画に家屋はないが、仮に一念発起して貯蓄を頭金に注ぎ込み、無理なローンを組んだ夢のマイホームの真正面にこんなものを造られたらどうなるか。想像しただけで発狂しそうである。
また、別の区画は、雨ざらしとなって傷んだ車両が多数放置されているが、よく見ると、50年前の三菱ミニカなど、マニアが喜びそうな旧車が多数混じっている。ちなみに三菱ミニカは僕の愛車でもあるが、僕はこの360㏄のミニカの実物を見たのはこれが初めてだ。この区画は2012年に撮影されたグーグルのストリートビューでも、まったく変わらず同じように車両が放置されている光景が見られる。誰かのコレクションなのだろうか。
そんな話はいいとして、さてここの住宅地では、住宅の下の擁壁から延びた塩ビ管が側溝に接続されている光景を見かける。各戸の個別浄化槽の排水を側溝に流しているのだと思われ、どうやらこの分譲地には集中浄化槽の施設はないようだ。うっかり撮影してくるのを忘れてしまったがこの分譲地にも調整池がある。しかし側溝が管理されているのは、あくまで現在居住している住宅の排水路のみで、空き地脇の利用されていない側溝は既に土砂に埋もれ、雑草が生えている。
側溝掃除というものは僕の住んでいる分譲地でも行っているがなかなか手間の掛かるもので、利用していない側溝までとても管理していられないという住民の方の気持ちはよくわかる。ここに限らず、未利用地の多い分譲地の側溝は得てしてこんな状態だ。しかしこうなると、今から新たにここに家屋を建てる人の排水はどうなるのかという問題があり、実際僕の家がある分譲地でも、築浅の住宅は宅内処理で済ませている。集中浄化槽を備えた分譲地に人が流れてしまうのは致し方ない面もあるのだ。
しばらく団地内を歩くと、団地のはずれに小さな公園があった。しかしその公園は草刈りこそ行われているようだが、ベンチは既に朽ち果て、遊具は樹木に埋もれ、公園として利用されている様子は全く伺えない。家屋の築年数から考えても、ここの住民が現役の子育て世代である可能性は低く、もはや維持する必要もないのだろう。考えてみれば、都市部の公園であれば緑地としての機能も果たし周辺住民の憩いの場ともなろうが、こんな農村の限界分譲地では、公園の優先度はどうしても低くなろう。だがそれにしても荒れた公園というものは見ていて寒々しく、実害はなくとも団地の第一印象はさらに悪くなる。
公園からほど近い所には、おそらく集中井戸の給水施設と思われる残骸があった。既に柵にまで蔦が絡まり、どこに入口があるのかも判然としない状態であり、またここの分譲地の家屋には家庭用の井戸ポンプが備えられていることから見ても、利用されていないことは明らかだ。敷地内には既に錆び付いた圧力タンク式の井戸ポンプがあるが、しかしこのポンプは、一般的に畑や小規模な事業所などで使用されるものであり、仮にこの分譲地の区画全てに家屋の建築が進んでいたとしたら、果たしてこんな貧弱なポンプで全ての世帯に給水など出来たのであろうか。
それ以上に疑問なのは、この給水所は、団地の最北部、つまり最下段に位置しているのだが、通常、ひな壇分譲地における集中井戸の供給所というものは、タンクであれ給水塔であれ、各家庭への給水圧を確保するために団地の最上段に設けるのが普通である。給水所を、わざわざ余計な圧力を要する最下段に設置するというのはまったく空前絶後の設計であり、加えてこんなポンプでは、おそらくまともな給水能力を有していなかったのではなかろうか。
集中井戸を有する古い住宅団地では、時にその設備が貧弱であるゆえに、夕方から夜間など、一般的に多くの家庭で水道の使用量が増加する時間帯になると、その水圧が下がってしまうケースもあると聞く。おそらくこの分譲地も、そんな欠陥団地の1つであった可能性が高い。
ところでこの分譲地には団地名を示す看板もなく、自治会の掲示板もない。ゴミ捨て場の横に、掲示板らしき構築物はあるのだが、なにも貼られておらず、錆び付いており利用されている雰囲気もない。管理の行き届いた団地には、大体掲示板に自治会からのお知らせや、地域のサークル活動やイベントの告知が貼られていたりするものだ。こうした点からも、自治会機能がどのような状態にあるか、おおよそ察知することも可能だ。
このように、居住が進まなかった分譲地では、本来であれば付加価値となるはずの共有設備が、かえって重荷となるどころか、荒れた印象を一層引き立てるマイナスの要素となり得るケースもある。僅か8世帯では共有設備の維持など到底不可能なのだ。ここはそもそも最初から家屋数が少ないので、早々に共有設備を放棄して家庭用井戸ポンプなどで対応してきたと思われるが、懸念されるのは、中途半端に家屋が建ってしまい、既に共有設備を利用している状態の分譲地が、今後どうなるのかという点だ。共有設備を放棄する、という決断も、今後は必要となってくる局面もあるのかもしれない。
さて次回は、最後に、そもそも最初から何の共有設備も備えていない下総町のミニ分譲地と、小規模な放棄住宅地の紹介をしたうえで、今後の限界分譲地のあり方として、僕なりの持論を簡単に述べていきたいと思う。
共有設備を放棄した分譲地へのアクセス
成田市津富浦
- 東関東自動車道大栄インターより車で7分
- 京成成田駅より成田市コミュニティバス「津富浦ルート」 「久井崎坂下」バス停下車 徒歩4分
コメント
埼玉県内男衾 磯村建設の分譲地
cm当時の建物の他に新しく建て替えするお家もありましたね。