僕が現在暮らしている旧匝瑳郡光町(現・山武郡横芝光町。2006年に旧横芝町と合併)は、九十九里平野の自治体の中でも、特に分譲地の乱開発が進められた町の一つである。町内には今でも、高度成長期からバブル期にかけて開発された、およそ「まちづくり」の理念とは無縁の、一寸先の将来展望も見据えていないような謎の分譲地が星の数ほど残されており、その中に僅かに建てられた家屋の一つに、我が家も暮らしているわけであるが、奇妙なことに、これほど宅地の過剰供給が続いている光町でありながら、今でも僅かながらではあるが宅地造成は行われている。
新規の造成地は当然のことながらその造成費用も分譲価格に含まれているので高額であり、事情を知らない人から見れば、近隣に数分の一の価格で投げ売りされている売地が山ほどある中で、何故わざわざ高額の造成地を買う人がいるのかと不思議に思うかもしれないが、実際の所、これはニワトリと卵が逆の話で、たとえ古い旧分譲地の数倍の坪単価であろうと、現実に買う人がいるからこそ造成が行われているのであり、むしろ地元の不動産市場においては、そのような新しい造成地こそ今日の売れ筋となっている。
旧光町には鉄道駅がない。総武本線の駅も含め、現在の商業エリアはほぼすべて旧横芝町側に集中しており、旧光町域は、利便性においてはどうしても旧横芝町より劣る。また、蓮沼や多古行きのバス路線がまだ残されている旧横芝町に対し、旧光町は既に民間の路線バスも運行されておらず、町内の公共交通は、自治体が細々と運行するコミュニティバスとオンデマンド交通のみだ。つまり現在の旧光町は、勤め人であれば居住地に関わらずどこも自家用車の利用を前提とした生活にならざるを得ないため、一見どこであろうとその利便性にそれほどの差異があるようには思えないのだが、実は地価相場にして、売れ筋の地域とそうでないところでは数倍もの開きが出来てしまっている。
その原因は、結論から言えば、現在、光町のような片田舎で住宅用地を取得して自宅を建てる人は、そのほとんどが学齢期の子供を抱えた地元出身の若い夫婦であり、そもそも都市在住者向けの別荘地や投資物件として開発された旧分譲地が想定していたニーズとは大きく異なるからに他ならない。公共交通機関が衰退し、さらに小中学校の統廃合が進んだ今となっては、30~50坪程度の狭小地が大半を占める旧分譲地では、通勤と子供の送迎のために複数台所有せざるを得ない自家用車の置き場の確保にきわめて不十分であり、加えて、小中学校からも遠く通学路や校区になんの配慮もされていない旧分譲地は強く忌避される傾向にある。
今日では自動車の車体や車幅も、70~80年代の旧分譲地の開発時期より大型化しているため、特に古い分譲地は道路の幅員が狭いこともあって車体の取り回しが大変であり、そのことが尚更若い方から敬遠される要因となっている。さらに都合の悪いことに、旧分譲地はレジャー性を重視して海岸近くや川沿いの地域に位置するものが多いのだが、東日本大震災による津波被害の生々しい記憶や、近年も絶えることのない豪雨による堤防の決壊・河川の氾濫などの自然災害によってハザードマップの認知が進んだ今となっては、逆にこれも敬遠要素となってしまっている。
つまり光町の旧分譲地は、今日の土地購入者が求めるニーズとは絶望的なまでにミスマッチを起こしており、売地として市場に出されてはいるものの、住宅建築を希望する地元住民にとっては、最初から選択肢にも入らないことがほとんどなのである。だが、いくら時代の移り変わりはめまぐるしいものとは言え、開発から僅か20~30年程度で、これほどまでニーズと乖離してしまうのもおかしな話であり、つまるところ限界分譲地というものは、そもそも最初から一般の住宅地としての実需には、満足に応えられる代物ではなかったという事なのであろう。そこで今回は僕の住む光町を例に、現在売れ筋の地域の物件と、そうではない地域の物件をそれぞれ簡単に紹介して比較したうえで、改めて限界分譲地が抱える問題を浮き彫りにしたいと思う。
まずは売れ筋の地域から紹介したい。現在、光町内で新規の住宅建築が集中しているエリアは大まかに分けて2箇所。それぞれ、町立光小学校(旧東陽小学校)と光中学校の周辺地域であり、それ以外の地域で新規の宅地造成は行われていない。光中学校は横芝光町役場のすぐ裏手にあり、横芝駅からも比較的近く、近隣にはいくつかの商業施設もあるので、他地域に比べて地価が高いのも無理はないのだが、もう一つの光小学校は、横芝駅からも決して近いとは言えず、周囲には商業施設もなく、現在新築住宅が集中しているエリアに関して言えば、近くにコミュニティバスの停留所すらない。一般的な都市部の不動産の評価基準では、ここだけ地価が高くなる現象に説明がつかない立地である。
光小学校近くの新築住宅が集中するエリア。小学校は確かに近いが、そのほかで、一般的な不動産市場において有利に働く条件を備えた立地であるとは言えない。
確かに子供の通学の安全面を考えれば小学校は近いに越したことはないのは当然だとしても、格安の中古住宅を買うのならともかく、新築ともなれば今日でも35年の長期の住宅ローンが一般的である中、他のすべてのメリットを犠牲にしてまで、6年間の通学のみ特化して立地を選んで大丈夫なのだろうかと、子供がいない僕は正直思わなくもないのだが、しかし現に特定の小学校の近隣の土地が集中的に売れているのは光町に限った話ではないので(隣接する匝瑳市も同じ状況にある)、それが現在の潮流なのであろう。
紹介する売地はそんな新築集中エリアの一角にある。敷地面積は374㎡(約113坪)。新しい分譲地らしく広めの敷地だ。現地には町内で営業する地元業者の立看板が出されており、売地に隣接する住宅はやや古びた様子だが、少し周囲を見渡せば、築後間もないと思われる住宅が立ち並ぶ模様を目にすることができる。いずれの分譲地も「スクールライン」と呼ばれる2車線の快走路に近接しており、車庫入れなどのストレスは少ない。
居並ぶ新築の家はどの家も100坪程度の敷地を確保したゆったりとした作りで、最近の潮流として、凝った外構や庭を設けている家庭は少なく、敷地の多くはコンクリートが打たれ、複数台分の駐車スペースを確保している。分譲地の規格としては、確かにバブル期以前の古い旧分譲地ではとても敵わないものだ。
気になる価格は800万円。坪単価にして約7万円。旧光町の分譲地とは思えないほどの高額だが、しかし、2区画あった販売区画のうち、東側の区画は既に売却済みで住宅が建築されていることから、度を越した価格設定がなされているわけでもないようだ。分譲地の周辺は農地が多く、どこでも好き勝手に家を建てられるわけではなく、旧分譲地ではここまでの規格を満たせないので、確かに希少性はあるのかもしれないが、それにしても駅徒歩圏とも言えないこの立地で坪7万円というのはちょっと信じ難い。
と言うのも、小学校までの距離がこの売地と同程度の、とある旧分譲地の96坪の売地は、200万円(坪2万円)でも買い手が付かず、2年前についに半額の100万円、つまり坪1万円まで一気に値下げされているからだ。坪1万円の売地は県道から少し入った裏路地にあり接道が若干良くないので、多少価格が落ちるのは当然なのだが、両者の物件間の距離はおよそ1㎞程度しかなく、それでいて坪単価に7倍もの開きが出るのはやはり異様に映る。
確かによく考えてみれば、仮に僕に子供がいたとしても、僕は元々光町の出身ではなく、他所から移入してきた者だから、ことさら小学校の立地ばかり特化して重視する必要もない気楽な立場と言えるかもしれない。しかし、地域に濃密な人間関係を持ち、既に就学している子供を抱える世帯は、むやみに校区を変えて子供に転校を強いるわけにもいかないであろうし、子供が少なくなった今、陸の孤島のような限界分譲地ではなく、同年代の子育て世代が多く住むエリアに惹かれてしまうのはむしろ自然なことなのかもしれない。
では、現在売れ筋の人気の分譲地に対し、現代のニーズを全く満たさなくなってしまった古い限界分譲地の現況はどうなっているか。実は、先に紹介した坪1万円の旧分譲地は、現在市場に流通する限界分譲地としては、敷地面積はかなり広く条件としては恵まれており、全体で見ればむしろ例外的な存在である(実際に広告閲覧数も多い模様だ)。ほとんどの限界分譲地は前述のように40~50坪の狭小地で、特に地価が暴騰した80年代半ば以降に分譲された別荘地は、1区画がわずか30坪にも満たないようなところもある。
紹介する売地は、前述の売れ筋分譲地が位置する宮川地区に隣接する目篠地区。県営住宅の南側に位置する比較的規模の大きい分譲地を抜け、雑木と空き地に挟まれた細い路地を抜けた、栗山川に近い低地の一角にある。接道は悪く四輪車の離合は不可能で、両脇の空き地からは蔓や篠竹の浸食が進み幅員は圧迫される一方で、路肩には待避所として利用できるスペースもほとんどない。この道の先には数戸の家屋しかないので、実際には車両同士が鉢合わせしてしまうことはまずないとは思うが、こうした狭隘路の先にある限界分譲地というものはおしなべて利用率が低い。
目指す分譲地は総区画数18区画のミニ開発地であり、現在も売地として広告が出されている区画は、両隣に家屋が建つ、敷地面積僅か85㎡(約25坪)しかない狭小地である。一般の住宅用地としてはあまりに狭すぎるので、小規模な別荘住宅用地として分譲されたものだと思うが、それにしてもこれでは今日の新築希望者のニーズを満たすには、致命的なまでにスペック不足であると言わざるを得ない。
価格は39万円とのことなのだが、これは菜園用地、駐車場用地として取得するには高額すぎるもので、広告は長く出されているが近隣の方が取得する気配もない。また、価格は不明であるが、周囲には他にも売地の看板が出されている区画がいくつか存在する。
目篠の売地の所在地。入り組んだ細い路地の奥にある。
39万円で高額すぎて買い手がつかないとなると、では適正価格はいったいいくらなのか。実はこれが非常に難しい質問で、と言うのも、本記事投稿時点では既に成約してしまっているのだが、つい先日(2021年5月頃)、この目篠の分譲地の、未管理の50坪の1区画が「無償譲渡物件の不動産支援マッチングサイト みんなの0円物件」という、その名の通り無用な不動産の無償譲渡先を募集するサイトに掲載されていたからだ。
(参考サイト:「みんなの0円物件」千葉県横芝光町 栗山川の中流付近、約50坪の未使用山林を0円で譲渡)
サイトの運営会社は、物件売買の仲介手数料ではなく、無償譲渡を目指す売主がその手続きを進めるうえで、必要に応じて有償でサポートを行う事で営業をしているそうなのだが、ほとんど取引事例もないような僻地の山間部ならまだしも、周囲には未だ複数の売地が存在する中で、いきなり0円の物件を登場させるというのは、もはや価格破壊どころか、価格テロと言っても差し支えない無慈悲な仕打ちである。僕自身、同町内で20万円の物件を取得しているので内心穏やかではない。ほんの1年ほど前に、同町内の10万円の売地を驚きを以て紹介していたばかりなのに…。(参照:「横芝光町木戸 限りなく無償に近い分譲地」)
ちなみにこの目篠の0円物件の所在地は、先に紹介した売れ筋の800万円の物件から、およそ2km程度しか離れていない。確かに接道も悪く、区画も狭く、住宅地として比べるべくもないとは言え、それにしても、千葉県の片田舎に過ぎないこの光町の町内だけで、これほどまでに地域差が生じてしまっているのはやはり奇妙な現象であると言わざるを得ない。そもそもこのような不均衡が生じている根本的原因は、時代のニーズに適合しなくなった古い分譲地の再利用を模索することもなく放擲し、新たな造成地を拵えるだけで事足れりとする、場当たり的過ぎる宅地開発の手法そのものにあるからだ。そしてそれは、現在は人気を博す高規格の分譲地でさえも、近い将来には再び過去の遺物として、旧分譲地同様、地元の不動産市場の辺境に追いやられる可能性を秘めた危ういものである。
確かに、今日残されている旧分譲地のすべてが、今後も住宅地として維持すべき立地条件にあるとは僕も思わない。僕の自宅もそうなのであまりとやかくは言えないが、先に上げた0円物件は川沿いの低地であり、ハザードマップでは浸水想定エリアに指定されているので、言っては悪いが永続的に利用する住宅地として相応しい条件にあるとは言えないだろう。
そうではなく僕が問題にしているのは、今後も宅地として利用するか否かというのではなく、現にそこの所有権が細切れにされている状況に蓋をしたまま、新たな宅地開発、都市開発を進めることの是非なのである。新しい時代に適合した住宅地を建設していくのも結構なことだが、だとしたら、せめて同時進行で、過去の遺物の後片付けくらいすべきではないのかと、僕は思うのだ。
コメント