栗源(くりもと)町は、かつて香取郡の一自治体であったものが、2006年、佐原市、山田町、小見川町と合併して、現行の香取市となったものである。他の町はともかく、佐原はよく知られた名前なので、その名前が消滅して「香取市」とされたことに違和感を覚える向きもあったようだが、佐原自体、元々は香取郡に属していたので、地域としてはあくまで「香取」を名乗る方が自然なのだろう。
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今なお静かな農村地帯である旧栗源町。

 栗源町は、そんな現在の香取市の中でも、旧山田町と並び、大きな市街地もない静かな農村である。利根川沿いに位置する佐原や小見川は、それなりの規模の市街地を有しているのに対し、栗源は、その町域のほとんどが農地や山林で、今日においてもそれは変わらない。ところが成田空港からも比較的近いばっかりに、僅かながらも分譲地が造成されてしまった形跡がある。

 「形跡がある」と書いたのは、旧栗源町エリアには今なお住宅団地と呼べるような地域は一切存在せず、ごくわずかの戸数の家屋が並ぶ、おそらく近隣在住者向けと思われるミニ分譲地が、確認できただけで1か所ある他は、基本的に放棄住宅地と呼ばざるを得ない分譲地しかないからだ。元々数自体多くないとはいえ、旧栗源町は、開発された分譲地のほとんどが放棄状態にあるという北総でも非常に特異な状況にあり、つまり栗源はそもそも分譲地としての実需など発生しない立地ということである。今回は、それら放棄分譲地をいくつか紹介していきたい。
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栗源は分譲住宅地の実需が発生する立地条件ではなく、ほぼすべての分譲地が放棄状態にある。


 最初に訪問した分譲地は、香取市の沢地区にあり、旧栗源町役場からおよそ3キロほどの立地だ。今でこそ近隣に温泉施設や道の駅などはあるものの、開発当時はもちろんそんなものはない。ただ、前回紹介した、成田空港からの路線バスが走る千葉県道44号線からはやはり近く、正直ここまで来るとあまり空港から近いとも言えないが、ここもやはり空港特需を見込んで開発され、そして大きく目論見が外れた分譲地であろう。

 いくつかの家屋が見られ、売地もあるものの大半の区画が空地で、街路も舗装されておらず、分譲地としては末期的な状況にある。この地域は都市計画区域外なので接道義務がないのだが、売地の看板が出された空き地は、一見しただけでは、接道しているのかどうかの判別がつかない。たとえ接道義務がなくても、進入路のない宅地などとても買う気にはなれない。
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分譲地内は家屋は少なく、街路も舗装されていない。
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どこが接道道路なのかわからない売地。

 分譲地内には、いくつかの家屋と空き家の他に、フェンスと鉄条網で厳重に囲まれた、過激派のアジトのような物々しい雰囲気のプレハブ小屋がある他は、これといって特に目を引くものもないのだが、まだ真新しい境界杭が打たれている区画もあり、まだ管理・取引する意思のある所有者も少なくないようだ。しかし、繰り返すが街路が判然としない個所が多く、街路と認識できる場所でも、自動車やバイクが放置されている。この豊かな農村風景の残る栗源で、わざわざこんな荒んだ分譲地を選ぶ人が現れるかどうか。

 ちなみに余談であるが、これほどの不便な農村の分譲地であるならさぞかしお安いだろうと思われる方もいるかもしれないが、元々分譲地の数が少ない栗源の売地は、供給と取引事例の少なさが災いしてか、あまりお安い印象の売地はない。ここは車両も進入できないような位置の売地が多く、近隣に高圧電線の鉄塔もあり、今の価格ではなかなか買い手は付かないのではないだろうか。
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ほとんどが未利用地で、家屋は多くない。高圧電線もあり、環境的にもセールスポイントが少ない。
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分譲地内に残された空き家。
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厳重にガードされた謎の施設。
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売地は残るものの、そこに至る街路が荒れていてどうにもならない。
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街路上に自動車やバイクが放置されている。
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正式な街路なのか判然としない道路。


 続いて訪問したのは、香取市岩部にある放棄分譲地。この分譲地は、当ブログでもたびたび紹介している、立命館大学の吉田友彦教授のレポートでも取り上げられている。家屋は一棟しかなく、あとは荒れ果てた紛れもない放棄分譲地なのだが、売地の看板はいくつかみられ、そして何故か分譲地内に神社が建立されている。

(参考資料:吉田教授の放棄住宅地レポートhttp://www.lij.jp/info/sien/sien16/yoshida.pdf

 それにしても、売地の看板を出す日栄不動産は茂原の会社なのだが、はるばるこんな栗源の土地まで草刈りに来るとは、商売とは言えご苦労なことである。このブログでもいつかは足を踏み入れなければいけないと考えているが、茂原という町は、とにかく町全体がスプロールと化した、八街以上に常軌を逸した分譲地開発が行われた町で、今なお市内全域に膨大な数の空地がある。茂原の空地の草刈りだけでも、考えただけで気が遠くなるような作業なのに、更にこんな栗源の放棄分譲地までカバーするとは、商売熱心というか、世の中にはいろんな商売があるものだとつくづく思う。
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2004年に吉田教授の調査も入った岩部の放棄分譲地。状況はそれから何も変わっていない。
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売地も一応ある。仲介業者はおなじみの日栄不動産。
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分譲地に建立された神社。

 鳥居には建立年が刻印されており、「昭和四十七年十二月」とある。この分譲地の開発時期とほぼ同じだ。吉田教授のレポートによれば、この神社は近隣住民の共有名義となっているようで、分譲地の一区画を神社の用地として確保したのだろう。住宅地としての需要が何一つ発生しない一方、近隣集落の神社の建設用地として素早く取得されるという状況は、この分譲地がもはや、郊外でも何でもない、紛れもない農村に位置することを何よりも分かりやすく証明するものだ。僕たちはいつの間にか、郊外と農村の境界線を越えていたようだ。
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鳥居に刻まれた神社の建立年。
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分譲地は郊外住宅地としての役目を果たすことなく、農村の一部に組み込まれた。

 吉田教授が行った放棄分譲地に関する自治体へのアンケートでは、都市計画区域指定の遅かった、あるいは指定のない未線引き自治体は総じてアンケートの返答状況が良くなかったが、とりわけ旧栗源町は、アンケートの返答すらなく「無回答」となっていた。しかし、当時の栗源町が無回答であったのも、この分譲地を見れば納得がいく。栗源町の担当職員は、突然外部から町内の放棄住宅地の問題を指摘されても、そもそも自分たちの管轄区域が、郊外住宅地として開発されたという認識もなく、その分譲地で何か問題が発生しているわけでもなくただ神社があるのみで、回答のしようがなかったのだろう。

 さて分譲地は既に宅地も街路も荒れ果てて雑木林と化しており、ほとんど足を踏み入れられないが、神社の境内の片隅に、例によって集中井戸用の圧力タンクが残されている。また、分譲地の奥の方にも、今なお草刈りが行われている売地もあるのだが、その売地までの車両の進入は現状では不可能で、住宅用地として利用できる状況では到底ない。ちなみにお値段は108㎡で150万円。高い。
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どこを向いてもただの雑木林で、もはや住宅地でも何でもない。
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境内の片隅に残る圧力タンク。
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しぶとく販売が続けられる売地。30坪で150万円。15万円ならもしかしたら売れるかもしれない。


 最後に訪問したのは、香取市高萩に位置する放棄住宅地。先に紹介した岩部地区とこの高萩地区は、明治時代の東京新田の開墾地である九美上地区に隣接しており、周囲は北総ならではの広大な畑作地帯だ。ここは前面道路が、放棄分譲地としてはかなり幅員が確保されている方で、公道でもある。単にあまりに不便すぎると言うだけで、放棄分譲地にありがちな、アクセス困難な立地というほどではない。しかし宅地に生えた樹木は既に大木と化し、土留めの石も一部崩落し、再利用の見込みはないようだ。
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高萩の放棄分譲地。

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前面道路は広く、車でのアクセスも容易。
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土留めの石が崩れ落ちている。

 この地域は家屋もまばらで、一見、なかなか田舎暮らしに良さげな放棄分譲地に見えなくもないが、同行の方が、街路にうす高く溜まった砂泥を見て、猛烈な砂嵐に巻き込まれる可能性を示唆した。なるほど、確かにこの日は雨天だったので、畑は湿り砂嵐が吹くことはなかったが、周囲には遮るものもなく、土が乾燥していれば、旧開拓地ではおなじみの砂嵐が吹く荒れてもおかしくない場所である。
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砂嵐によって生じたと思われる砂泥の吹き溜まり。

 分譲地は、時折り手が入っているのだろうか、雑木林と化しているというほどではなく、進入は容易である。売地の看板が一切見当たらないので、事業用地としてどこかの企業が所有しているのかもしれないが、お決まりの給水塔の残骸が、かつてここが分譲地であったことを示している。周囲は草も刈られた区画もある中で、給水塔だけは樹木に覆われてしまっているが、これも給水塔用地が共有化されてしまっていることの弊害なのだろうか。
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放棄分譲地でありながら、比較的良好な状態を維持している。
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給水塔だけは樹木に覆われて放置されている。

 分譲地内に、丸木の大木が積み上げられていたので、初めは資材置き場として利用されているのかと思いきや、よく見るとその丸太にはNTTのプレートが貼られている。昔よく見た木製の電柱のようだ。この分譲地にはほとんど電柱はないのだが、これはかつてここに建てられていた電柱を撤去したものだろうか。しかし、電力会社が、撤去した電柱をそのまま現地に放置していくというのも解せない話である。登記情報を調べてみないことには、この土地がどのような利用をされているのかわからない。
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古い電柱と思われる丸木が放置されている。
 
 分譲地内には、1棟の崩れ落ちたプレハブ小屋の他に、事業所と思われる大きな建物が2棟ある。しかし、2棟とも廃墟化しており、屋根にも穴が開き再利用も難しい状態だ。一方、一般の民家と思われる家屋は1棟もない。ここもやはり、住宅地としての実需が一切発生しなかった分譲地であろう。
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崩れ落ちたプレハブ小屋。
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分譲地内に残る事業所の廃墟。
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こちらの建物は既に屋根も崩落し、再利用も難しい。


 ここまで調査した時点で、雨足がかなり強まってしまったので調査が困難になり打ち切ってしまったのだが、予定では、旧栗源町の放棄分譲地は、このあと2か所訪問するつもりであった。それはまた機会があれば後日訪問してレポートしたいが、ここまで見てきたように、旧栗源町の分譲地というものは、その大半が、現実に住宅地としての役目を果たす日を迎えることもないまま放棄されている。多古町はそれでも、まだ空港周辺勤務者のベッドタウンとして細々と利用されている分譲地があるが、栗源町にはそれすらない。郊外ニュータウンの境界線を越え、完全な農村に展開されてしまった分譲地は、最初から放棄されることを約束されたようなものだ。

 もちろん、この先、さらに東に進み、佐原や小見川方面に行けば、分譲住宅地はある。しかしそれらの分譲地は、もはや空港勤務者向けというよりは、元々佐原近辺に住む人や、利根川の向こう、鹿島方面に生活基盤がある方向けのもので、放棄分譲地どころかごく普通の住宅団地が大半で、住宅事情はまったく異なるエリアとなる。

 空港特需を見込んで開発された限界分譲地の境界線は、もちろんそれが地図上に明記されているわけではないが、おおむね、多古町と旧栗源町の境目辺りに位置すると考えて差し支えないだろう。多古町からぼんやりと「郊外」の影が薄れ、農村の色合いが濃くなり、栗源町に入ると、分譲地に神社が建てられてしまうような、純度100%の「農村」になるということだ。



旧栗源町の放棄分譲地へのアクセス


沢の放棄分譲地 


岩部の放棄分譲地

高萩の放棄分譲地