当ブログでもたびたび訪問している千葉県山武市は、2006年に旧来の成東町、松尾町、山武町、蓮沼村の4町村が合併して誕生した新しい市である。合併前の4町村はいずれも農業を基幹産業とした人口規模の小さな自治体であったが、4町村とも80年代から90年代にかけて野放図な宅地開発が繰り広げられており、よりによってそんな自治体が合併して誕生した山武市は、市域の全域にわたって無数の分譲地が散在する、コンパクトシティとは対極のスプロール都市となってしまった。
悪く言えば、平成の大合併の流れで急拵えで誕生した町なので、中心市街地と郊外の境目が曖昧な町なのだが、その中でも旧成東町は、特急停車駅である成東駅を抱える、山武市の中心商業地域で、現在の山武市役所や山武警察署、そして総合医療施設であるさんむ医療センターなどは、この成東駅の近隣に位置している。
成東駅の周辺は、現在の多くの地方都市の駅前がそうであるように、既にシャッターを閉じた商店が多く、往年の活気はどこにも見られないが、成東駅は総武本線と東金線の乗換駅であり、県都である千葉駅へ向かう電車は、総武本線回りと東金線回りの2通りから選べるうえ、成東駅近くに営業所を構える路線バス会社「ちばフラワーバス」が運行する東京駅八重洲口行きや千葉駅行きの高速バスは、この成東が起点のため運行本数も多く、交通の便は、総武本線の一択しかない八街よりずっと恵まれている。
成東には、このエリアでは進学校として知られる成東高校も存在し、駅周辺の商業地域は衰退しているものの、国道に出れば、東金方面から続く多数の大型ロードサイド店舗が軒を並べているため、駅や商業施設に近い立地では今でも地元業者による宅地分譲が続けられている。そして大方の予想通り、人口が増えているわけでもない山武市では、新規に開発される分譲地と同じ数の、もはや地元在住者からも見限られた限界分譲地が、今なお農村の奥深くに取り残されているのである。
今回紹介する「成東白幡ニュータウン」は、成東駅から県道121号線を海岸方面に下ることおよそ5㎞ほど、位置としては成東の市街地と九十九里浜のちょうど中間あたり、作田川沿いの田園地帯に位置する、利便性は低いがリゾート気分も味わえない、極めて中途半端な立地の住宅団地である。九十九里平野の沿岸部は旧来の集落があるため、のちの時代に開発された分譲地は、どちらかと言えば海岸より少し内陸に入った立地のものが多いのだが、それらの分譲地のほとんどが、開発許可を要しない範囲で造成された小規模なもので、それに対しこの成東白幡ニュータウンは、おそらくこの九十九里平野でも最大規模の住宅団地のひとつであると思われる。
白幡地区は、旧来からの集落もそれなりの規模で、地区内にはいくつかの大規模な工場があるほか、県道沿いにはかつて商業地として賑わっていた名残もあり、飲食店や簡易郵便局などは今でも営業を続けている。もちろん駅前同様、今となってはその賑わいは見る影もないが、県道はいまだ交通量も多い。
成東駅を起点とするちばフラワーバス「海岸線」は、この白幡を通過して九十九里海岸へ向かう経路を取っており、この白幡地区が、かつては独立した生活圏であったことをうかがわせるものだ。地区内にはコンビニやツルハドラッグなどのチェーン店もあるが、残念ながらスーパーはない。かつてスーパーだったと思われる建物は、現在は中古車販売店になっており、ある意味、郊外の衰退を象徴するような光景だ。
目指す成東白幡ニュータウンは、この白幡の旧市街からも少し離れた立地にあり、県道には団地の入口を示すような案内看板もないので、団地に隣接する野球場の案内看板を目印にしてたどり着く。団地の入口には、「白幡ニュータウン」と書かれた手書きの簡素な看板が立つが、後述するがこの白幡ニュータウンの周辺には、開発時期も異なる別の分譲地が数多く隣接し、一見しただけではどこが団地の入口なのかよくわからない。しかしよく観察してみれば、その周辺の無名な分譲地と成東白幡ニュータウンでは、住宅地としてのクオリティに決定的な違いがあることがわかる。
団地内の道路は、普通車でも十分離合可能な幅員が確保されており、外周の道路には歩道も設置されている。そんなの当り前じゃないか、と思う方もいるかもしれないが(当ブログの読者なら今更思わないかも?)、九十九里平野の分譲地で、歩道を備えたものなどほぼ皆無に近い。元々都市部のような徒歩での生活をあまり想定していない、というのも確かにあるのだが、基本的に九十九里平野の限界分譲地は、ただでさえ狭い街路に両脇の空地から雑草が迫り、普通車でも通行を躊躇うような道路がほどんどだ。それと比較すればここはずっと明るい印象を受ける。
これは北総に限らず、70年代以前に開発された古い住宅団地にお住まいの方なら分かると思うのだが、街路が狭いということは、そのまま住民の共有スペースが狭いということであり、家屋の密度も高くなるので、街路は日陰が多く、町全体が暗い印象を受けるのである。昨今よく取り沙汰される「空き家の増加」問題は、日本人は新築好きとかそんな単純な話ではなく、住宅不足の時代に開発された住宅地は、立地も含め、その規格自体が現代の需要にマッチしていないことも遠因のひとつなのだ。
家屋の多くは築20年~30年ほどのものと思われるが、中には築後間もないものと思われる家屋もあり、また、大手ハウスメーカーによって建築中の家屋も見受けられた。白幡ニュータウンの開発時期は80年代半ばで、分譲地としても決して新しいものではなく、団地内は集中浄化槽が設置されているため管理費も掛かり、資産価値で言えば周辺のボロボロの限界ミニ分譲地と全く大差はないのだが、やはり住宅団地としての規格がワンランク上なので、こうして現在においても、僅かながらも新規の住民の移入が続いているのである。
団地内は空地が多い。限界分譲地ではおなじみの光景として、こうした空地の管理を請け負う草刈り業者の看板も目立つが、中には、地元の一般の仲介業者が立てた売地の看板もある。
通常、坪一万を切るような限界分譲地の更地は、手数料が安すぎて商売にならないので、細々と仲介を行う一部の事業者を除き、大半の仲介業者は見向きもしないものなのだが、宅地の販売と同時に注文住宅も請け負う業者は、利便性の悪い分譲地でも、売れる見込があれば取り扱うケースもある。ここはまだ、住宅地として僅かながらの需要があるということであろう。しかしその一方で、既に菜園用地として転用されている区画もある。
そしてこの住宅団地で特筆すべきなのは、分譲地内に点在する公園である。どの公園も規模は小さく、遊具がいくつか設置された簡素なものなのだが、そのうちのいくつかは、豪雨時に調整池として転用できるよう、宅地よりも低い位置に設置されている。
取るに足らないことのように聞こえるかもしれないが、投機目的ばかり先行し、冗談半分で造成したとしか思えないようなフザけた住環境も珍しくない北総においては、こうした設備こそが、ここがれっきとした住宅団地として開発されたものである何よりの証左なのである。
(追記:調整池についての記載に事実誤認がありコメント欄でご指摘いただきましたので、誤認箇所の削除で対応させていただきました)
さて団地の奥へ進むと、小さな水路を挟んで、突如として山武市と九十九里町の境界を示す手製の案内看板が現れる。この白幡ニュータウンは、お隣の九十九里町に隣接した立地に造成されているのだが、九十九里町側は「フラワータウン」と記され、どうやら白幡ニュータウンとは別の分譲地であるらしい。航空写真を一見しただけでは、どう見ても単一の住宅団地にしか見えないのだが、地図をよく見れば団地内には市境の境界線が複雑に入り組み、「白幡ニュータウン」と「フラワータウン」を結ぶ街路も1本しかない。フラワータウンはフラワータウンで、白幡ニュータウンとは別の自前の集中浄化槽設備を持ち、自治会も異なるようである。
フラワータウンも少し散策してみたが、特に白幡ニュータウンと比較して優劣もないので、今回は撮影画像の簡単な紹介にとどめるものとする。所属する自治体も共有設備も異なるが、ここは事実上、白幡ニュータウンとフラワータウンの2つで構成された、単一の住宅地と言っていいだろう。フラワータウンを抜けると、風景は、元の九十九里平野の田園へと戻っていく。
ということで、今回訪問した「成東白幡ニュータウン」は、立地の不便さで言えば限界ニュータウンそのものとは言え、それ以外の点においては、北総の住宅地としては及第点と言えるものではあるが、実は今回の記事はここで終わりではない。そもそも白幡は、山武市の売地や中古住宅などの物件情報をチェックしていると、頻繁に目にする地名のひとつであり、そして時には、更地では坪1万円ほどから出回る格安物件多発地帯である。「白幡ニュータウン」の地価も、率直に言って高いものではないのだが、この白幡ニュータウンの周辺には、冒頭でも述べたように無数のミニ分譲地が存在しているのである。
特に白幡ニュータウンの北西には、おそらく開発許可が不要な範囲で少しずつ造成していったと思われる、全く統一性のない入り組んだ街路の分譲地が、それこそ白幡ニュータウンと同程度の面積規模まで広がっている。国土地理院の航空写真で確認する限りでは、これらの分譲地は白幡ニュータウンの開発時期よりもずっと古く、1975年の航空写真で既にその存在が確認できる。
1970年2月2日付の朝日新聞(夕刊)の紙面上に、当時主に那須方面で盛んに別荘地開発を行っていた「東昭観光開発」という開発業者の広告が掲載されているのだが、その広告の中に、この白幡ニュータウンに近接した分譲地の一部の広告が掲載されている。「猛烈ビジネスマンの本格的ベッドタウン 新宿から100分」との衝撃的なキャッチコピーが打たれた、94区画もの比較的規模の大きい分譲地であるが、それにしても1970年の時点で既にこんな九十九里平野の果てまで開発の手が伸びていたことに改めて驚かされる。新宿から100分掛かる本格的な限界分譲地は、確かに猛烈な精神力がなければとても暮らし続けることは出来まい。
もちろん、70年代の分譲地ということでそのクオリティはもはやお察しの通りで、今日、破格値で売り出されている白幡の売地は、大体この辺りの旧分譲地と考えて差し支えない。今回はその分譲地も訪問したので、併せて紹介していくことにしたい。
成東駅と白幡地区を結ぶ県道121号線から、白幡ニュータウンへ向かう市道から枝分かれした細い横道をしばらく進むと、突如道路は未舗装となり、住宅地が出現する。「通学路につき最徐行!!」と書かれた看板が見えるが、道も狭いし舗装もしていないし、言われるまでもなくそろそろ徐行しようと思っていたところだ。
砂埃を上げながら奥に進むと、家屋はまばらに点在するのみで多くは空地であり、その空き地も、草刈り業者の手が入ることもなく篠竹が伸び放題となっている区画が多い。一見して、白幡ニュータウンよりもずっと古い時代に開発された、投機目的先行型の限界分譲地であることが分かる。
これほどの規模の住宅地でありながら、ほとんど舗装がされていないということは、おそらく大半が私道であると思われるのだが、一応分譲地内にはゴミの集積場がある。つまり、清掃組合の収集車がここまで乗り入れてゴミ収集していることになるのだが、こんな狭く入り組んだ未舗装の分譲地にパッカー車で入り込むというのは、業務の効率化を阻む負の要素以外の何物でもなく、多くの自治体が切望するコンパクトシティ構想の動機の一つとして、ゴミ収集の効率化が挙げられるのも、この光景を見ると無理のないことである気がしてくる。
ここは白幡ニュータウンのように計画的(?)に、大掛かりに開発された分譲地ではないので、当然のことながら集中浄化槽のような共有設備は存在せず、汚水は個別浄化槽で処理したものを、おそらく側溝に流し込んでいると思われるが、その側溝は濁った水が溜まって淀んでおり、排水処理能力に難を抱える分譲地であることが伺える。この、70年代の分譲地における貧弱な排水能力は、僕も八街在住時に泣かされた限界分譲地の深刻な欠点のひとつである。
白幡ニュータウンのような、団地専用の集中浄化槽は、自治体が補助金を出しているケースもあるが、基本的には団地の自治会が自主管理しており、分譲マンションの共有設備のようなものである。往々にしてこれらの集中浄化槽などの管理費は、公営の下水道と比較して割高であり、共有設備を備えた住宅団地は、その管理費の負担があるがゆえに周辺の宅地よりも更に安値で取引されていることもある。維持が困難となり放棄されてしまい、個別浄化槽に切り替えてしまった分譲地もあるほどで、集中浄化槽や集中井戸の存在は、決してメリットと呼べる代物ではないのだが、それでもここのように、個別浄化槽の排水に難を抱える分譲地を見てしまうと、多少費用を負担してでも、まだ集中浄化槽の方がマシに思えてくる。
実際、八街で僕が暮らした分譲地では、「僕が暮らした限界分譲地」の記事内でも触れたが、分譲地の住民総出で行う月二回の側溝掃除が、特に高齢の居住者にとってかなりの負担であったのだ。
さて話を戻すが、先にも述べたようにこの分譲地は街路に計画性というものがまったく見られず、狭くて行き止まりも多いうえに、路上駐車の車両もあって車両の進行がなかなか難儀であった。街路上には、既にタイヤもパンクして放棄されたと思われる放置車両も存在する。このような放置車両は、訪問者の第一印象を地の底まで落とすものであり、それはそのまま更なる資産価値の下落に繋がるもので、出来れば止めていただきたいものであるが、ほとんど人の往来のない限界分譲地では、時にこのような光景を見かけることもある。
ひとつだけ、公園らしきものも設置されていたが、そこにある遊具は、ただ古タイヤが半分地中に埋められているだけの代物で、その光景からは、白幡ニュータウンのような、緊急時に調整池として機能させようというような誠意は全く感じられず、単に当時の販売業者が、図面上で「ここに公園がありますよ」と説明するためだけに設置されたと思われる貧相なものである。
と、このように、今なお新築住宅の建築が進む白幡ニュータウンに対し、ここはお世辞にも住宅地として万人に推薦できるような分譲地ではないのだが、ひとつ、利点を上げられるとすれば、それはほかならぬ、成東白幡ニュータウンに近接しているという点である。
これは冗談で述べているのではない。前回、大幅に加筆訂正を行った「はにわ台団地/ハニワ台ニュータウン」の文末でも述べたことであるが、山武市のように、極限までスプロール化が進んでしまった都市において、人口規模も、財政規模も縮小に進むことが避けられない将来、行政サービスを効率化させようとするならば、中心市街地の再開発などという夢物語ではなく、市内各所に点在する、比較的設備が整った、住民数の多い住宅団地とその周辺に、可能な限り住民や都市機能を集約させていくことが求められているからである。こと山武市においては、それ以外の道は残されていない。
この荒れた分譲地の更地に、これから高額のローンを組んで新規に住宅を建築するのはやや無謀ではあるとは僕も思うが、仮に破格値で中古住宅が登場した場合、周辺の格安の更地も取得して利用可能面積を広げ、余裕のある生活空間を確保するというのは、選択肢の一つとして残されていると思うからである。先にも述べたように、元々白幡は周辺の農村地帯と比較して人口や家屋が多く、工場地帯もある。バス路線も、便数は多いとは言えないが今なお確保されている。山武市も、この白幡をあっさり切り捨てたりはしないだろう。
山武市には、既にコミュニティバスの路線網からも見捨てられ、事実上置き去りにされたミニ分譲地が数多く存在する。誰も住まない分譲地でひっそり暮らしたい向きもあるかもしれないが、限界ニュータウンの売地を「住宅地」として取得したいと考えた場合、やはり、今後も住宅地として持続可能かどうか、という視点は、最低限頭の片隅に入れておく必要があるのでは、と思う。それにしてもこの分譲地に限って言えば、既に住宅地として利用するにはあまりに厳しい局面に突入しているかもしれないが。
成東白幡ニュータウンへのアクセス
山武市白幡
- 圏央道山武成東インターより車で15分
- JR成東駅よりちばフラワーバス「海岸線」 「白幡ニュータウン」バス停下車 徒歩10分
コメント
こんばんは。新規の投稿楽しみにしておりました。道路は未舗装、上下水道のような
インフラまで自分で管理しなければならない田舎の分譲地は行政や電力、ガス会社が
用意してくれて当たり前と思っていた私には衝撃的な内容です。このブログのおかげで
免疫ができましたが(笑)。ネットで通販が手軽に利用できる時代になったとはいえ、日々の
買い物に必要なスーパーまで撤退してしまうような地域は厳しいですね。
>>SU100さん
コメントありがとうございます。
僕も、田舎の生まれではありますが、住宅地というものはインフラが整備されているもので、そうでないところは農村、というイメージがありましたから、北総のこの現状は、最初は衝撃的でした。
ここはスーパーは若干遠く、近場ではツルハドラッグやコンビニになってしまうので、不便ですね。品揃えは豊富でなくとも、せめて生鮮食品を確保できる店は近くにほしいものです。
成田台風で思い出し拝見しました
千葉県内でも比較的発展している地区の損害は軽微でしたが、こちらで取り上げているような土地では被害の度が違ってくるように思えます
陸の孤島での停電断水もさる事ながら、団地の共有インフラが破壊されたら…想像もしたくないですね
不勉強なもので実際成田近郊のニュータウンで被害が発生したかは存じませんが、自然災害のリスクも随分高そうに感じました
千葉全域を暴風雨が襲いましたが、御無事でしょうか?
ニュースで安普請の屋根が軒並み吹き飛ばされているのを見て思いましたが、
丈夫な家屋と安定した地盤は何よりの防災策ですね。
お金はかかりますが・・・
>>5
お気遣いありがとうございます。僕の住む芝山町も台風の被害があり、停電は続いていますが、僕の家は既に復旧し、無事に過ごしております。
我が家も築古のボロ家なので、屋根材が吹き飛ばされてしまいましたが、貸家ですのでとりあえず、貸主による業者の手配待ちです。
家屋の丈夫さもさることながら、電気、水の確保の重要性を思い知らされました。
>>4
コメントありがとうございます。
ご指摘の通り、今回の大規模停電は、杉などの倒木が復旧を大幅に妨げており、したがって都市部より、山林の多い農村部のほうが復旧が遅れております。
当ブログで紹介している分譲地における被害状況は、まだ僕も調べておりませんが、個別インフラであれ団地共有インフラであれ、いずれにせよ電力で稼働するもので、停電のため井戸はあるけどポンプが動かない、ガスはプロパンだけど給湯器が作動しない、という問題が多かったです。
その点では、今回のような大型台風は、農村部のほうがリスクは高いと言えますね。
白幡ニュータウンから車で3分程度の場所に大型スーパーありますよ!
公共下水道
東金市 大網白里市 茂原市(分流式下水道) 白子町(真空式下水道)みたいな、インフラも悪くはない。