千葉県には、これまで紹介してきた限界ニュータウンとは別に、「放棄住宅地」と呼ばれる、住宅の建築はもちろん、宅地の販売そのものも事実上凍結状態にある旧分譲地が散在している。10~20区画程度の小規模な放棄住宅地は、軽く調査していれば割と目にする機会が多いが、中には200区画以上もの宅地がすべて放棄され、分譲地そのものが原野に還りつつあるところもある。
こうした「放棄住宅地」に関する調査はほとんど進んでいない。「山武市埴谷 北向き急傾斜地の分譲地」の際にも少し紹介した、立命館大学の吉田友彦教授が2004年に千葉県北部に点在する複数の放棄住宅地の現地踏査を行っているが、そのレポート(以下「吉田レポート」)以外でこれら放棄住宅地に関する報告を目にしたことは今のところない。実際のところ、住民は誰も住んでいないのだから、放棄されて原野に還ろうとも現状ではさしたる実害もないのが調査の進まない原因であると考えられるが、総じて限界ニュータウンを抱える自治体は、管轄地内における土地利用の現状に対して無頓着なケースが多いことも要因の一つとして考えられる。まず確実なのは放棄住宅地のすべては市場性の低い立地であることが放棄に至った主因であり、したがって再利用の計画もないのであろう。
さて、成田市の大栄支所(旧大栄町役場)からもほど近いエリアの臼作(うすくり)地区の、東関東自動車道沿いの農村集落の一画に、そんな放棄住宅地がある。ここは吉田レポートにも取り上げられている団地の1つで、先の調査から13年、結局今日に至るまで状況に何一つ変化はなく、一層荒廃が進んでいる。現状では販売中の宅地ではないので、本来ならこのブログで取り上げたところで実用性のある記事にはならないものの、70年代の北総における宅地開発のなれの果ての一つとして取り上げるのも意義があるのではと考え、今回、改めて僕自身が調査に赴いてみた。
上の画像は1979年に撮影されたこの分譲地の上空写真である。吉田レポートによれば、この分譲地の土地の分筆が開始されたのは1978年であるとのことなので、造成間もない時期の写真だ。まだ管理状況も良好な時期であり、各区画の区割りも鮮明に確認できる。分譲地北側の「公園跡」と記した位置が団地の進入口であり、調整池も視認できる。
団地の進入路は、逆光となり見苦しくて恐縮だが、街路のおよそ半分が鉄パイプでガードされ、車両の進入を阻んでいる。いずれにせよ一歩入れば団地内の街路は荒廃を極め、到底車両の通行ができる状態ではない。吉田レポートではこれらの宅地の各区画の所有権の移転状況や抵当権の有無の調査も行っていて(さすが国の補助を受けて行われた調査だけあってその綿密さはどこかのお遊びブログとは大違いだ)、それによれば所有者の8割以上が株式会社の所有であることを以て、思うように分譲が進まなかったのではと推察している。
周辺エリアには、他にも分譲が進められた限界住宅地が散在するが、開発時期が70年代後半と、他の分譲地と比較して数年ほど遅くなっていることが災いしたのだろうか。ここは旧大栄町役場から充分歩いてアクセスできる立地で国道からもほど近く、にもかかわらずバブル期に分譲が進まなかった理由は不明だ。
入口の脇には、滑り台とブランコのみが設置された小さな公園がある。上空写真では更地の状態だが、今となっては生育した木々に覆われ、昼間でも薄暗い状態だ。結果としてただの一棟の住宅建築も行われなかったこの団地では、この公園が子供の遊び場として使われることもなかったのであろうが、この公園の存在が、ここが原野商法的に分譲の体裁を取った投機ありきのえせ分譲地なのではなく、現実的な住宅地としての利用も想定していたことの証である。ベンチは朽ち果て、遊具も錆びるに任せた状態であり、何とも物悲しい雰囲気が漂う。
進入路から一歩団地内に入れば猛烈な藪で、足を踏み入れるのもためらう有様であるが、確かに街路は舗装され排水溝もあり、擁壁も構築されていて、藪の深さを除けばごく平凡な住宅団地の構造だ。アスファルトの継ぎ目からも雑草が生えていて一見荒れた印象だが、住宅地として利用された実績がないゆえに、よく見れば路盤の傷みや剥がれ、轍などはない。擁壁はさすがに年代を感じる構造で、おそらく今日の建築基準法には適合しないであろう。進入路から既に両側には宅地が区画割りされているはずなのであるが、宅地内はあまりに荒れ果てていて、擁壁以外で宅地の境界を特定できるものは何もなかった。
しばらく進むと、調整池と思われる構造物がある。100区画以上の分譲地では普通に見られるものであるが、見たところ、柵こそなぎ倒されていて周囲も樹木で囲まれているものの、調整池そのものは堅牢に作られているようで、ろくな排水設備も整えていない分譲地も少なくないこの北総エリアでは、なかなかハイスペックな共有設備であり、なぜバブル時代にこの分譲地がまったく利用されなかったのか理解に苦しむ。
調整池を過ぎると団地の中心部に到達する。ここは丘陵上に造成された分譲地のため、進入路は緩い勾配があるが、中心部は比較的平坦で、日当たりも悪くない。よく見れば路盤も、アスファルトを突き破って生えている雑草はあまりなく、所々の継ぎ目から雑草が生えるのみとなっている。先の調整池同様、丁寧な工事が施されたことが推測できるが、しかし宅地から伸びきった樹木や藪が街路を塞ぎ、藪漕ぎの装備がなければほとんどの街路の進入は困難だ。吉田レポートでは、遠方に給水塔が確認できる写真が掲載されているが、あまりの藪の深さに、今回はその給水塔を視認することはできなかった。
団地内のいくつかの街区は電柱も設置済みである。未利用地の多い分譲地では、家屋のまったくない街区には電柱の設置すら行われていないことも多々あるのだが、ここは住宅建設前からすでに一定数の電柱が設置され、すぐに電気の引き込みが可能な状態を整えてあったようだ。だが、電柱にも蔦は絡み、管理されている様子はない。また、更に注意深く観察すると、街路上に制水弁のハンドホールを確認できた。吉田レポートで給水塔が確認できることから、ここは団地水道が設置されていたものと思われる。北総ではよくある集中井戸だろうか。
なお、冒頭で紹介した上空写真をよく見ると、公園跡の北側の区画に、何かの建造物らしき姿が確認できる。訪問時、ここは擁壁上が樹木に覆われ何もなかった気がするが(訪問前に国土地理院の上空写真を見ていなかったので気に留めておらず見落としてしまった)、あるいはここに、集中井戸や集中浄化槽など、何らかの共有設備があったのかもしれない。
一部の区画は、なぜか不自然に開けているところもあるが、それにしてもやはり放棄住宅地の荒廃ぶりはさすがに限界ニュータウンの比ではなく、訪問時、刈り払いの道具など持ち合わせていないのは言うに及ばず、ジーンズにスニーカー姿というおよそ藪漕ぎに不向きな服装で、しかも古着屋で1500円で買ったダウンジャケットの破損を恐れたあまり、団地奥深くまでの進入は叶わなかった。冬場でこれなのだから、夏場は猛烈な藪に覆われることだろう。
しかしここまで見てきた通り、構造物そのものの劣化はそれほど進んでいるとも思えない。この立地では正直なところいくら再整備をしたところで、今更住宅団地としての市場価値は低いままであろうが、例えば簡単な構造物で死角を設けて、最近千葉の山林でよく見掛けるサバイバルゲーム場としても再利用が可能なのではと考えたものの、残念ながらこの分譲地は農村集落の一角に位置しており団地周辺には民家があるので、あまり大騒ぎできるようなロケーションではない。また今日において、一個人が自費でこの分譲地のすべての区画の所有者の居所を突き止めるのは相当な手間と費用を要すると思われる。
結局、ここは今後も再利用されることもないまま、少しずつ風化していくしかないのだろうか。しかしそれにしては建造物が無駄に堅牢なため、なかなか劣化が進まないのは実に皮肉な話である。
参考資料:
『平成16年度土地関係研究者育成支援事業研究成果報告書 首都圏郊外部における放棄住宅地の環境管理における基礎的研究』吉田友彦著
無住の放棄住宅地へのアクセス
成田市臼作
- 京成成田駅より千葉交通バス「吉岡線」 大栄支所バス停下車 徒歩13分
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