大洋村の別荘地、それも特に70年代後半〜80年代にかけて開発・分譲された別荘地を特徴づけるもののひとつが、コンクリートブロック基礎や板張りの外壁などの簡素な建材と建築方法によって造られ、立ち並ぶ「ミニ別荘」の存在である。以前紹介した筑波大学大学院の修士論文『旧鹿島郡大洋村における「ミニ別荘」の現況と今後』(以下「真鍋レポート」)において、大洋村の開発分譲地が「持続性がない」理由の1つとしても挙げられるそれらのミニ別荘は、今日ではその多くが老朽化し朽ち果てていることも相まって、別荘地の無惨な印象を補強するものと化してしまっているが、大洋村において、こうした言わば「安普請」の別荘住宅が多数生まれてしまうことになったのは、そもそも開発当初からの、別荘地としての「大洋村」の位置付けに起因するところが大きい。
上の画像は、今回の記事の作成にあたって、知人よりご提供頂いた1978年当時の大洋村の分譲別荘の広告である。「菜園ロッジ」と銘打たれた別荘の写真の横には誇らしげに「四季温暖 食糧豊富」のキャッチコピーが並ぶ。戦時下の疎開じゃあるまいし、40年前の広告であることを差し引いても「食糧豊富」はおかしな表現だと思うが、それより注目したいのは、広告中段ほどにある「頭金50万円より 長期ローンつき」の一文だ。
知人によれば、この物件は雨戸や面格子がオプションなので、購入者によって取得金額には若干の差があるものの、床面積の小さな「Aタイプ」の当時の販売価格は、土地代込みで約250万円、大きな「Bタイプ」は約600万円程度だったそうである。40年前の物価水準を考えれば決して安いものではないが、「長期ローンつき」「わずかな費用」という表現からも読み取れるように、開発当初から大洋村は、高度成長期の別荘としてイメージされるような、富裕層の道楽や企業の税金対策ではなく、それよりも購買力の低い、しかしながら首都圏より足を運ぶ程度の余裕はある層に向けて分譲された、廉価な別荘地という位置付けだったのである。
70年代といえばまだまだ土地の価格が上昇を続けていた時代。一般の給与所得者にとっては、別荘どころかマイホームの取得も一大決心を要するもので、仮に決心したとしても、それこそ当ブログで紹介してきたような、都心まで片道2時間を要する限界ニュータウンが予算的にも限界であった。加えて当時は一般住宅の建築技術の水準もまだ低く、そんな時代においては、大洋村で販売されていたような安普請の別荘であっても、それは富裕層の道楽と見られていた別荘利用という憧れを叶えるものとして充分だったのかもしれない。また、土地が資産として確実に機能していた時代の反映とも言える。
さてそんな大洋村において、とりわけ廉価に分譲販売されていた別荘住宅のタイプのひとつに「電柱物件」と呼ばれるものがある。電柱物件とはなにか。それは文字で説明するより画像を見ていただければ一目瞭然のものだが、要は傾斜地上において(時には平坦地においても)、コンクリート製のものに置き換えられて使われなくなった古い木製の電柱を建物の基礎として再利用した高床式の別荘住宅のことである。
電柱物件の中には、ロープや手すりがなければ足を踏み入れることも難しいような、きわめて険しい斜面上に建てられているものもあり(それ自体は山間部の別荘地ならどこでも見られる光景ではあるが)、普通に考えれば、平坦地よりもこんな崖地に住宅を建築するほうが建築コストは嵩むはずである。つまるところ電柱物件が廉価であった理由は、廃棄予定であった電柱を再利用しているからではなく、農地としてもほとんど利用不可能な傾斜地の取得費用が安かったからに他ならないのだが、眺望の良さという、別荘としては重要なセールスポイントがあったこともあり、大洋村には電柱物件が至るところに残されている。今回は、知人の案内で、このような電柱物件が今なお多く残る分譲地をいくつか訪問した。
最初に訪問した「電柱物件」の分譲地は、大蔵地区(字札道山)の、周囲に谷津田が広がる丘陵上に展開された別荘地だ。ここは「真鍋レポート」でも紹介されていた別荘地で、斜面に並ぶ住宅の中には、強引な増改築を繰り返しているものがあることが指摘されている。分譲地はかなりの急傾斜の崖地上に展開され、崖下に広がる谷津田沿いの国道からも、その分譲地を一望することができる。
分譲地に向かう道路は狭いうえに急勾配で、自動車の駐車場所がないということで、下の車道脇の空き地に駐車して徒歩で分譲地に向かったのだが、確かに言われてみると、別荘地内は路上駐車どころか、ほとんどの別荘は傾斜地上に建てられていて、駐車スペースが確保されていない。ちなみに別荘地に至る坂の途中には、当ブログの大洋村訪問記において、早くもレギュラーの座を獲得しつつある開発業者「メイキング」の看板も立てられていた。
大洋村の古い建売別荘は駐車場が設けられていないところもよく見るが、別荘だけあって土地は狭くなく建物も小さいので、平坦であれば駐車スペースの確保は容易だ。また、駐車スペースの拡張は行わずとも、前面道路(私道であることが多い)に路駐している光景も見かける。しかしここは、地形が険しいため駐車場の拡張には大工事を要するうえ、道路も狭くて路駐もままならない。
この別荘地は鹿島臨海鉄道の大洋駅からは遠く、また大洋村は現在、定期運行の路線バスもない。別荘地内には利用者用の駐車場も見当たらないのだが(追記:後に知りましたが、共用の駐車場はあるようです)、ここの別荘の利用者は、いったいどのような手段でアクセスしているのだろうか。鉾田市民であれば住民用のオンデマンドタクシーを使うことが可能だが、永住者でなければ、自家用車ですらアクセスが困難である。各別荘の玄関へ繋がる横道や階段も険しく、これでは定年後の隠居として相応しい立地とはとても言えない。
別荘地の最上部まで登っていくと、眼下に居並ぶ電柱物件を一望することができる。さすがに高低差が大きいだけあって、その光景はなかなか壮観だ。基礎が電柱であることを除けば、イメージ上の別荘地らしい光景とも言える。
しかし、その壮観さとは裏腹に、これは一抹の不安を覚える光景でもある。考えることは皆同じだと思うが、この電柱物件、耐久性や耐震強度の面において、果たして安全な物件と言えるのだろうか。
実際のところは、先に発生した2011年の東日本大震災の際、大洋村近隣は、北浦に架けられていた旧鹿行大橋の橋桁が崩落するほどの激震に見舞われたものの、その一方で、震災よりはるか前に建てられたこれらの電柱物件は今なお健在なのだから、見た目の不安定さに反して案外強度はあるものなのかもしれないが、物件の安全性は、耐震性だけで測れるものでもない。
40年前と比較すると、今日の建築基準法、建築確認申請は比較にならないほど厳格なものとなっており、今では千葉県同様、茨城県も建築基準条例によって、このような高低差が大きい崖地上における建築物は、深基礎や杭打ちなどの特別な工法を施さなければ建築許可は下りない。擁壁も造らず、法面の補強もされていない傾斜地で、古い木製電柱を基礎に使った家屋の建築確認申請なんて、今では担当者にビンタを食らって叩き出されるレベルのものである。
車道から階段を下ってアクセスするような建物は接道要件も満たしておらず、81年以前に建てられた家屋は耐震基準も満たしていない。まさに既存不適格のフルコースであり、これでは現在の大洋村の不動産市場において、電柱物件の取引がほとんど行われていないのも無理はない(現在の旧大洋村域は全域が都市計画区域に指定されている)。
案の定と言うか、よく見ると一部の老朽化した電柱物件は、既に基礎が傾いているものも見受けられる。電柱の腐食によるものか、それとも法面の表土の流失によるものかは見ただけでは判然としないが、いずれにしてもこうなるともはや、リフォームのために屋内へ立ち入ることも躊躇われるもので、大洋村の物件相場から考えても、高額のリフォーム費用を負担してまで修復する価値のある物件とは到底なりえない。
別荘地内の家屋は、ざっと見たところ半数以上はまだ管理されている模様で、これほどの悪条件の立地でありながら利用率は低くないと言えるが、いくつかの区画では、既に基礎上の家屋は撤去され、斜面上に電柱の基礎だけ残されているところがあった。
おそらく家屋の老朽化が進み、崩落して下段の家屋に被害を及ぼすのを防ぐために解体したのだと思うが、結局のところ、電柱物件の最大のリスクというのは、耐久性などの家屋のクオリティよりも、この立地にあると思う。利用可能なうちはまだ良いが、ひとたび家屋が使用不能となれば、再建築には非現実的な費用を要し、駐車場としても利用できない、なんの資産性もない斜面だけが残されてしまう。
眺望の良い高台の物件に惹かれる心理は僕にも理解できる。だが、購入者の方には悪いが、これはあまりに迂闊な選択肢であった。もちろんそんなものは、結果を知る者だからこそ言える勝手な意見ではあるのだが、これこそまさに、真鍋レポートが指摘する「持続性がない」開発行為そのものであろう。
続いて訪問したのは、二重作字天神平に位置する電柱物件の別荘地である。ここは大蔵の別荘地と比較すれば規模はずっと小さく区画数は15程度なのだが、私道の形状が特殊で、それが特筆できる点として知人の方が案内してくれたのだが、今回訪問してみると、どういうわけかその私道上に、夥しい量の伐採木が放置されており完全に街路が塞がれた状態で、別荘地の探索はおろか、今後別荘地として利用することも困難なのではと思われるほどの状況になっていた。
案内人の方も、訪問するまでこの現状はまったく把握しておらず驚いており、事情がわからないので憶測を重ねるのは控えるが、ただ、確認できる限りは、斜面上に見える電柱物件は、伐採木がなくとも既に近寄るのも困難と思われるほど老朽化が進んでいる。
よく見ると、掃き出し窓のすぐ下は奈落の底で、基礎と思われる電柱が一本宙に浮いているので、バルコニーは既に崩落したのだろう。さらに、画像では見にくいが、窓下の基礎を支点にして、土台も左右にひしゃげてしまっており、建物全体の崩落も近いものと思われる。既に手前右端は、基礎も失われているようだ。先に紹介した、基礎だけ残された区画を見ても、どうやら電柱物件は、基礎そのものの老朽化の前に、建物自体の耐用限度を超えてしまうようだ。残念ながらこの別荘地は、これ以上の調査は難しかったので、調査はここで打ち切ることにした。
最後に訪問したのは、汲上字田道に位置する電柱物件である。こちらも二重作天神平同様、規模の小さな別荘地であるが、階段状の急峻な私道を挟んで、南北にいくつかの電柱物件が立ち並んでいる。
別荘地は丘陵の端に構築されており、その下は谷津田が広がり、夏場は木々の葉が生い茂って見通しは悪くなりそうだが、最下段の別荘などは、まだ枯れ木の多い今の季節は眺望が良さそうだ。先ほど僕は、こうした電柱物件の購入を、迂闊であったと述べてしまったが、やはりこうした光景を見ると、同じくこの眺望に惹かれて購入を決意した方を嗤うことはできない。後世の法改正を予測することなど困難だし、別荘としては、なんのかんのでやっぱり高台というのは魅力のあるものだ。
しかしここの電柱物件をよく見ると、奇妙なことに気付く。階段私道の北側に建てられている別荘、否、ここに限らず他のどの電柱物件を見ても、バルコニーや採光面が崖下に向けられていて優良な眺望・採光を確保しているのだが、反対側、階段私道の南側に並ぶ電柱物件は、崖下方向に向けられているのはほとんど眺望も期待できない小さな窓で、それは下にある浄化槽に伸びる排水管の位置から考えても、明らかに台所や浴室などの水回りの窓である。採光面は、崖上に向けられているのだ。
どんなに多額の費用を掛けても、方角だけは修正のしようがないので仕方ないことなのかもしれないが、これでは単に汚水の流れる音が谷間に響き渡るだけで、わざわざこんな急斜面に建てている意味がまったくない。買う方も買う方だが、これはまさに土地の取得費用をケチっただけの電柱物件である。斜面のデメリットしか享受していないこの北向き電柱物件は、一部の電柱基礎は腐朽し適切にメンテナンスされている気配もなく、周囲は大きく生育したヒバの木に包まれている。この物件もまた、ここまで見てきた他の電柱物件同様、このまま空中で朽ち果てていくのだろうか。
と言うことで、今回は3ヶ所の別荘地に点在する電柱物件を紹介した。正直言って、今回紹介した「電柱物件」は、何もわざわざこんな長文で改めて注意喚起するまでもなく、今日においてこのような安全性に劣る物件を好んで選択する方は少ないはずで、実際、現在の大洋村の不動産市場では電柱物件を見かける機会はほとんどないのだが、いかに最初の取得費用が廉価であろうとも、その後の維持管理費用が余計に嵩むことになりかねない物件を選ぶことのリスクを、電柱物件はもっともわかりやすい形で今に伝えている。
冒頭でも述べたように、大洋村の別荘は、元々廉価で取得できることをセールスポイントとして販売されたものだ。であるのならば、今日改めて大洋村の物件を取得する方も、無用なリスクを招くことなく、取得費用だけでなく維持費も廉価に済ませられる物件を選びたいものである。
「電柱物件」のある分譲地へのアクセス
鉾田市大蔵字札道山
鉾田市二重作字天神平
鉾田市汲上字田道
(お詫び)上の地図は正確な位置を補足していない可能性があります。正確な位置を補足出来次第訂正いたします。
コメント
先日ははるばる遠くから鹿嶋にいらしてくださって、
本当にお疲れ様でしたm(_ _)m
お持ちくださったたくさんの薪、毎日楽しく使わせて
いただいております♪
この日は突然の雨などで奥様は風邪など
ひかなかったでしょうか?
いつの間にかたくさん写真を撮ってらしたんですね~。
文章もいつもながら大変素晴らしいです!
お体に気をつけて、お仕事やブログ更新など
頑張ってください。
またのお越しをお待ちしております!
湯田さんありがとうございます! 先日は色々お世話になりました! 幸い、妻も風邪を引くことなく今日も元気に過ごしております。
これまでこのブログは、資料不足が最大の悩みの種でしたが、大洋村に関しては、強力なアドバイスや情報提供をいただける方とお知り合いになれて嬉しい限りです。
写真は、別の記事で参考画像として使えることもあるので、いつもかなり余分に撮影しています。引き続き大洋村調査を続けていきますので、ぜひともまたよろしくお願い申し上げます!
むき出しの斜面に組み上げられた別荘宅・・・まさに砂上の楼閣ならぬ、斜上の楼閣でしたね。
空中に崩壊寸前の小屋が並び立つ風景には、同じ日本と思えず、アフリカとかどこか異国の住宅を感じました。
次回も更新を楽しみにしています。
>>ちどりさん
コメントありがとうございます!
大洋村は、他の山間部の別荘地と異なり区画あたりの面積が狭く、まるで一般の住宅地のような密度で、小さな別荘が立ち並んでいて独特の光景を作っていますね。見ているだけで楽しいので、今後も機会を見つけては、再訪しようと考えています。今後ともよろしくお願いします!
こんにちは。利用価値の無い傾斜地にバラックの建物、しかもその土台は昔懐かしい木製電柱の輪切り!
昔、新聞の折り込みに大洋村の別荘のチラシがしょっちゅう入ってきた頃から何か胡散臭いものを感じていましたが現実はここまでひどいとは。よくもまあ震災で建物ごと落下しなかったものだと思いますが今後も大丈夫とは到底言えませんね。建物撤去したらただの崖。情報を取る、実際に自分の目で確かめるというのは大切なことだと改めて感じます。
>>SU-100さん
コメントありがとうございます。
建物自体が簡素なので重量がなく、それで大きな揺れでも案外大丈夫だったのかもしれませんが、いくつか見て回った限りでは、既に基礎そのものの腐朽が始まっている家屋があり、予断は許さない状況にあります。電柱物件は現在は未利用となった建物も多く、特に状況の悪いものを見かけたら定点観察の必要があると考えております。
畳が思い切り沈み込んだ木造家屋の床下を修繕しようと
荒床を剥がすと根太はおろか土台や束までスカスカのしけったビスケットのように
腐朽していることが多いです 急傾斜の崖を流下する陰気な雨水や湿気で
電柱土台柱が腐朽の洗礼を受けるのは建築家として当然予期できることです
不要になった電柱柱の再利用かつ素人騙しの金儲け並びに電柱柱の建築材としての
耐用度を実験しようという悪意が感じられてしまいます
建築をかじる者としてはこの電柱柱の樹種に興味があります
>>名無しさん
コメントありがとうございます。
そうなんです。販売当時の地価を考えれば、家屋の建築費用を極力抑えなければ、一般ユーザーが手に届く価格帯にならなかったことは分かるのですが、電柱を土台に使うことのリスクとなると、別に地価に関わらず当時でも予測可能だったのではないのかと疑問を感じてしまいます。当時は一般民家でも、それほど頑丈な造りではない木造住宅が多かったでしょうし…。
おひさしぶりです。
結局コロナで仕事がぐちゃぐちゃになりやっと落ち着きました。
いやー電柱?これは住めない。
>>DAさん
お久しぶりです。コメントありがとうございます!
この電柱物件、やっぱりご想像の通り、今大洋村に関心を持つ方からもことごとく避けられていて、ほとんど取引が進んでないのが実情です…。近寄るのも怖いくらいですね…。
木製電柱は強力防腐剤クレオソートの注入のお陰で現在でも現存するほど耐久性が高い訳で、なんというか普通の木柱を使われるよりは幾分かマシなんでしょうね。
こんなもの腐敗、地震や台風で既にペシャンコになってもおかしくない筈ですし。
サザエさんのエンディングに出て来る小さな別荘は昔からなぜか高床式になっていて、子供心に別荘って言うのはこういう物なのかなと思い込んでいましたが、こちらの記事中の写真を見ると正にサザエさんの別荘です。妙に納得してしまいました。話変わりますが、私は10年以上前にシェアタイプの別荘の勧誘を受けた事が有ります。当時、無料または激安で1泊してついでに見学と商品説明を受けられます、みたいなDMが時々届き、物は試しと応募してみたのです。うろ覚えですが初期費用が100万ちょっと、入会するとそれ以外に年会費が数万円掛かるとの事でした。若かったせいもあって、やってやれなくは無いがその費用を通常の旅行に使った方が有意義と思ったので止めておきました。その時のセールスマンがプロでもう少しで乗せられてしまう所でしたが、あの時踏み止まっておいて良かったとしみじみ思います。