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 新型コロナウイルスの蔓延がもたらした世情の変化によるものなのか、それとも元々そのような流れにあったのかは、僕にはわからないのだが、当ブログの開設当初と比較しても、北総の不動産市場はすっかり様相が変わってしまった。かつては常に物件サイトで見かけた100~300万円台程度の現状販売の物件は、今はほとんどなく、あったとしても1~2日、物によっては数時間程度でサイトから消えてしまう。

 不動産というものは、広告が出される以前の段階で、各取扱業者の得意先の手に渡るものもあり、言ってしまえば情報サイトに掲載される物件というのは、ある意味ではその時点で売れ残りなので、今やおそらく相当数の格安戸建が、人知れず投資家あるいは賃貸経営を専門とする事業者の手に渡っているはずである。最近ではリフォーム物件再販業者の大手であるカチタスの影響か、地元業者の中にも積極的に古物件を買い取り、リフォームして再販する動きが加速しているように見受けられる。
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 賃貸物件への転用や再販そのものは、地域社会にプラスの刺激をもたらす動きだとは僕も思う。買い手の皆が皆、未リフォームの現状販売を望んでいるわけでもないし、いくら安かろうと、否、安いからこそ購入に抵抗のある方も存在する。

 スプロールの解消がさらに遅れるという懸念があるとは言え、選択肢は多いに越したことはないのだが、それにしても、物件のどれもこれもがリフォーム済みで、安めの価格帯でも500万円以上という市場になってしまっては(現状そうなりつつある)、誰でも気軽に住まいを選べる市場とはとても言えない。

 貸家も貸家で、買値が安かろうとも、コストを掛けて居住性能を高めたものは多くなく、有態に言えば似たり寄ったりである。あまつさえ本来であれば家主が施すべきものであるはずのごく基本的な補修でさえ「DIY物件」と称し、入居者にその費用を負担させようという目論見のものすら見受けられる。

 また、売り手の立場としても、エンドユーザーのローン審査を通す手間を考えたら、即断で現金購入する投資家や事業者を優先してしまうのもごく自然な話だ。物件数そのものは増えたのかもしれないが、選択肢の幅は以前よりも減っているとも言え、住まいに高い金を出せないなら北総へ、などと提案することも、今はできなくなってしまっている。
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 むしろ率直に言って、北総程度の利便性で差し支えないのなら、今や他の地方都市を検討した方が良いのではと思う事さえある。だが、この状況は北総だけでなく、もうひとつの調査対象である大洋村のほうがより顕著であり(大洋村は小さな家が多いので全体的に北総より物件価格は安めだが)、金融機関による投資物件への融資が厳しくなっている昨今、現金購入が可能な価格帯の格安戸建は、どこも引き合いは強いはずだ。業界に太いパイプを持たない者、即断で現金購入できるほどの資金力を持たない者は、格安戸建の入手は難しくなっているのかもしれない。

 一方で、今日の住宅用地としてのニーズに絶望的なまでにマッチしていない限界分譲地の更地に関しては、今も価格が上昇することもなければ、取引が活発になっている気配も見られない。しかし僕自身も、限界分譲地の更地を通常の住宅用地として勧めているのではなく、あくまで近隣に住まいを確保した上での、補助的な私有地としての活用を提案しているので、肝心の住宅価格が上昇しているのでは何もならない。
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 その僕はと言えば、こんな下らないブログに振り回されて、甘い見通しで決断した転職も、結局己の不甲斐なさで失敗し、当初の目標であったはずの住宅の取得も叶わぬまま今に至っている。そんな僕を置き去りにして物件価格はますます上昇し、もはやこの先、僕は住宅取得の見通しすらも立てられなくなってしまった。

 現時点では当ブログの存在を前提とした仕事を受けている以上、更新を中断するわけにはいかないが、先行き何のあてもないまま、なおも分譲地を巡り続けることに、今はある種の無力感がないと言えば嘘になる。もはや自分でも、これなら欲しい、これなら買えると思える物件など、決して出てこないことはわかっていながら。

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 横芝光町尾垂イ(おだれい)、大布川(おおぶがわ)が河口に向けて大きく曲線を描くその手前の土手の脇に、今はその名前も忘れられた小さな分譲地がある。尾垂は旧光町の市街地からもっとも遠い町はずれの地で、周辺には水田や牛舎があるほか、いくつかのミニ分譲地も見られるが、この川沿いの分譲地はそれらとは少し離れたところに位置しており、孤立した寂しい旧分譲地だ。

 大布川の河口手前には、成田山本尊上陸の地の記念碑と、1998年に建立された波切不動尊像がある。伝承によれば、下総国北部(諸説あり)に拠点を構えていた豪族・平将門による争乱(940年・承平天慶の乱)が勃発した際、その乱を鎮めるための祈祷を行うべく京都より下向した寛朝僧正が、長い船旅の末、不動明王像とともに上陸したのが、この尾垂浜であると言われている。
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 まだ古称である「玉の浦」と呼ばれていた当時の九十九里浜の沿岸部は、一部で新田開発は既に始められていたものの、その大部分は人の住まない未開の湿地帯であった。都からはるか遠く、今日よりもずっと僻地であったこの上総国の果ての尾垂浜にたどり着き、怨霊にも例えられる将門の執念との対峙を前に、寛朝僧正はいったい何を思ったか。

 後世の干拓事業を経て、沿岸の湿地は今は広大な水田となり、平野部の微高地には集落が形成されている。寛朝僧正が長旅の末に目にしたはずの、豊漁地として知られた玉の浦の面影は、もはやどこにも見られない。
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 分譲地の区画の大半は更地で、現在残されている家屋は2棟。2000年代初頭までに撮影された国土地理院の航空写真では、かつては5~6棟ほどの家屋が建っていた模様が確認できるのだが、老朽化が進んだのか、地図上にはまだ建物の記載があるものの、すでに解体されて更地となっている。残された2棟も、1棟は今も住民が住んでいるが、もう1棟は、海からほど近いこの地に吹きすさぶ潮風の影響か、既に壁も天井も無残に崩落し、屋根もめくれ、ただ朽ち果てるのを待つばかりの廃屋と化している。
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 分譲地は荒れている。舗装はされているものの、路肩に堆積した砂泥からは雑草が生え、未管理地から越境した雑草、雑木が道路を圧迫する。中ほどまで進んだところに1本の街灯が立てられているが、既に錆びつき、カバーは下に転がり、蛍光灯も外されたまま放置されている。かつては建物があったであろう更地も、今は錆びついたフェンスが残されているのみだ。

 分譲地の開発は1984年。九十九里平野の至る所で、名前だけの別荘地開発が推し進められていた時代であり、この分譲地もおそらく、後先をまったく考えないまま、膨張するばかりの土地需要に応える形で造成された投機型別荘地の残骸であろう。
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 居住中の1棟はプレハブ作りの簡素なもので、老朽化のためだろうか、単管で建物を補強しており、そしてどうしたわけか屋根がひどく凹んでいる。通常の使用で屋根がこのような損傷を受けるとは思えず、2019年の台風15号の暴風による飛来物が衝突したのだろうか。お世辞にも豪奢であるとは言えず、一見するとなんだかひどく侘しげな佇まいだが、周囲には比較する対象の家屋もないし、こうして自力で補修できる規模の家が、この横芝光町にあるという事だけでも、今の僕には羨ましい。
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 廃屋と化した建物は簡素な平屋で、町内の別の旧分譲地にも、まったく同じ構造の建物をいくつか見かけることから、80年代半ばに光町近辺で建売別荘を展開していたものか、あるいは工務店がひとつの規格の廉価別荘として注文を受けていたものだろう。

 瓦棒葺きの鉄板屋根に圧縮ボードの外壁という構造は、大洋村で見かける建売のミニ別荘と同じだが、潮風の影響か既に柱ごとボロボロに腐り果て、内装に使われていた石膏ボードも、湿気にさらされたのか、粉々になって室内に散乱している。
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 この状態でも、敷地を囲むフェンスには草刈業者の看板が張られ、敷地内はつい最近草を刈った形跡がある。所有者は東京都内の女性で、84年の分譲当初に取得してから、変わらず今もそのまま所有し続けている。すでにリフォームなど到底不可能な状態で、このままではそう遠くない将来に屋根ごと崩落することは明らかだが、この状態でなおも草刈りの依頼をし続けて、所有者はいったいどうするつもりなのだろう。

 東京都内に自宅を所有する方にしてみれば、わずか37坪に過ぎない横芝光町の片田舎の固定資産税など、負担感も覚えないほど微々たるものなのかもしれないが、それにしても、いくら私有地とは言え、こんな無残な姿を晒したまま維持し続けるくらいなら、この状態からでも再利用の道を提案させていただければ、と思わなくもない。
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 建物は誰が見ても再利用不能だが、この家の敷地にはよく見ると外水道の水栓がある。完全に崩れ落ちた外壁から除く室内の奥には、浴室と浴槽も見える。この家は、町内の他にある同型の別荘と同じ建築手法であるとしたら、排水は浄化槽を使っているはずだ。いつ崩れ落ちるか分からないので、引き込んであったはずの電線は撤去されているようだが、目の前まで電柱が来ているので新たな引き込みは容易である。

 基礎も、大洋村のミニ別荘のように、輪切りにした木製電柱を使っていることもなく、ブロックが使われている。屋根の鉄板や、ガラスが割れたサッシなどの金属製品は、鉄屑屋にでも持ち込めば喜んで引き取ってくれるはずだ。石膏ボードは産廃扱いでしか処分できないので厄介だが、この建物は在来工法ではなく、今日のツーバイフォー工法に近い構造なので、柱は細く廃材は薪としてうってつけの太さである。

 ちなみに個人が日曜大工の範囲で行うリフォーム工事によって生じたごみは、よほど大量でなければ家庭ごみとして集積場に持ち込むことができると、僕は清掃工場の職員の方から聞いている。と言うことで、結局どんなに運が良くても使えるのは水道と浄化槽、基礎だけということになるが、ほとんどの売地が単なる地面に過ぎない限界分譲地においては、これだけでも再利用できれば条件は大きく異なるものだ。
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 だが、そうだとしても、いくらなんでもこんな廃屋を再利用するなんて、と思う方が大半だろう。僕だってそう思う。もっとマシな物件がいくらでもあるではないか、と言われれば、まったくその通りである。そもそもここに書いてきたことは、単に素人の僕が机の上で考えただけで、実現性があるかどうかもわからない与太話に近いものだ。リスクを避けるのであれば、まともに使える別の家を探すべきだろう。

 しかし、ではそうなると僕は、今日の北総の不動産市場における、頼んでもいないリフォームが施された、利便性や建物性能とはまったく見合っていない価格の中古物件を、この場で勧めなくてはならないのだろうか。このブログは、むしろそうした高額の不動産の取得によって生じる重い負担を抱えるべきでない、経済的余力のない人に向けて書いていたつもりなのだが。IMG_20210803_113116
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 決して数多く見ているわけではないが、明らかに立地と築年数、家屋のスペックに対して割高な物件を、お世辞にも属性が良いとは言えない買い手に、複数の金融機関に断られながらも何とかフラット35などの住宅ローンを通して売却する事例は、僕も目にしている。これだけ格安物件の引き合いが強い中、悠長にそんな審査を繰り返していられるのは、売れ残りに近い物件しかないのが現実だ。

 八街、山武など北総の自治体は、一時期、競売物件数が全国でもトップクラスに達したことがあり、現在は事件数は比較的落ち着いてはいるものの、今でも新着の競売物件情報を見ていると北総の不便な分譲地に建つバブル末期の戸建が競売に出されているのを頻繁に目にする。一部の不動産会社の物件広告には「収入の低い方、勤続年数の短い方のローンのご相談に乗ります」とか何とか、甘い見通しの借り入れを誘う文言が記載されている。

 即金で買える方、あるいは長期間のローンの返済に充分耐えうるほどの所得や資産をお持ちの方であれば、好みの範囲でリフォームをすれば良いと思うけれど、そうでない方に対し、僕はこのブログでそんな家の買い方を提案したくない。誰だってヤニで真っ茶色に汚れたクロスより、新品の白いクロスのほうが良いに決まっているが、それは重いローンを組まなければ家を買えないような者が余分に借金してまで必要なものなのか、非常に疑問で仕方ないのだ。
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 人間誰しも、その資産や貯蓄の状況に相応しい身の丈というものがあるはずだ。特に新型コロナによる経済状況の混乱がなおも続く中、今はそれを弁えずに生きていける時代ではないと思うし、一方で、もはや住宅に関しては、必ずしも背伸びしなくても何とかなる選択肢も用意された時代に入っているとも思う。しかし、昨今の北総の不動産市場の情勢は、明らかにかつて来た道をもう一度辿っている。

 これまで僕が記事に書いてきた限界分譲地は、都市や農村の延長ではない、そのための第3の選択肢となって、不動産市場の片隅でひっそり維持されていくのが最適解かと思っていたのだが、現実には、やっぱり投機の対象として使われるだけの超郊外に過ぎないようだ。
 
 あくまで住まいとしての分譲地を追い求める立場では、僕はこの先、超郊外よりもさらに外側の僻地の、さらに荒廃した限界分譲地を探し求めなくてはならないようである。それは自ら進んで問題に足を突っ込んで行くような、ひどく自己矛盾したバカバカしい行為であるという気もする。しかし、もう後戻りもできなくなっている。
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大布川沿いの寂れた分譲地へのアクセス

横芝光町尾垂イ
・銚子連絡道路横芝光インターより約15分