先日、別の記事の執筆にあたり、過去の新聞報道記事を参考資料として引用するため、図書館に赴いて朝日新聞や読売新聞などの全国紙の縮刷版に目を通す機会があった。その際気付いたのは、70年代から80年代にかけての新聞紙面広告、それも週末のものは、おそらく多い時期は3分の1が不動産関連と思われるほどの、物件情報、土地建物の分譲販売広告の豊富さである。

 当ブログ開設当初、まだ情報が乏しかった頃、僕は一度、地元紙である千葉日報の、70年代後半の縮刷版の三行広告欄で、限界分譲地の販売広告を探したことがあった。だがその時は不動産広告自体を見かけることが多くなく、その後は紙面広告に期待することはなくなっていたのだが、しかし考えてみれば当時の郊外型住宅団地は、千葉県に限らず首都圏全域において、賃貸住宅で暮らすファミリー層を主要ターゲットとして販売されたものである。住宅取得者の皆が皆千葉県に地縁のある方であったわけではもちろんなく、であるならば、特に大手デベロッパーによる開発住宅地の広告は、購読者の居住地域が限定されてしまう地元紙よりも、むしろ全国紙の紙面広告で展開されるのもごく自然なことである。

 もっとも新聞紙面に広告を出せるほど資本力のある企業はやはり大手の開発業者に限られてしまうので、いずれにしても当ブログで紹介しているような、得体の知れない三流業者が開発した投資型のミニ分譲地の広告は見かけなかったのだが、今でもその名を耳にする機会の多い有名な住宅団地に混じって、八街市にある「総武台団地」の販売広告を見つける事が出来たので、今回はこの総武台団地を訪問し、軽く紹介してみたいと思う。
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1971年(昭和46年)2月19日付の朝日新聞紙上に掲載されていた八街町(当時)の総武台団地の分譲販売広告。

 上の画像が、1971年2月19日付の朝日新聞紙上に掲載されていた、件の販売広告である。広告主は、東京江東区の藤倉不動産と神田駿河台の冨士土地株式会社。不動産広告としてはそれほどの派手さもなく、所在地も旧町名である印旛郡八街町となっているが、「成田国際空港開港をひかえて」と、やはり他地域の分譲広告では見られない、空港開港に伴う都市化に期待を寄せた売り文句となっている。しかしその所在地の最寄り駅は、八街の玄関口である総武本線八街駅ではなく、その一つ千葉寄りの小駅である榎戸駅である。

 成田空港開港前の八街は、印旛郡南部における商業の中心地であり交通の要衝でもあったため、八街駅周辺は古くから市街化が進められており、今日に至っても八街駅近隣には大型の住宅団地は存在しない。農地や山林を造成して大型の住宅団地を開発できるのは、必然的に榎戸駅周辺に限られてしまうわけだが、広告上で「デベロッパーは誰も気づかなかった将来性豊かな土地を開発することに生きがいを感じています」と自信満々で述べているように、当時の榎戸駅周辺はまだ純然たる農村地帯であり、総武台団地はおそらく、その後激しい乱開発の波に見舞われた八街において、もっとも初期に開発された住宅団地のひとつである。
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八街駅近くの国道409号線。八街駅周辺は明治時代より市街化が進み、大型の住宅団地は存在しない。
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1972年、総武台団地の分譲間もない時期に撮影された榎戸駅周辺の航空写真。画像左下が榎戸駅、赤枠内の造成地が総武台団地で、他の団地は見当たらない。(国土地理院航空写真を加工の上引用)


 榎戸駅周辺は、80年代に入るとさらに宅地化の波が進むことになり、その後総武台団地よりも駅に近い立地に、より大規模な住宅団地が建設され、また総武台団地に隣接して、より高規格な別の住宅団地までもが造成される事態に至り、今となっては総武台団地のみを、ことさら特別な住宅団地として意識できるような光景でもなくなっているが、せっかくなので今回は、当時、この都心からも遠い総武台にマイホームの夢を託した方々の足跡を辿るつもりで、あえて榎戸駅前に自家用車を駐車し、榎戸駅から徒歩で総武台団地へ向かってみることにした。
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橋上化された総武本線榎戸駅の新駅舎。
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榎戸駅前の踏切を通過する総武本線。

 榎戸駅は2019年、バリアフリー法に対応するために橋上化された新駅舎が開業し、西口には車寄せも設置され非常に立派になったが、それまでは簡素な駅舎がポツンと建つだけの小さな駅であった。駅の入口も現在の西口側にしかなく、新駅舎開業前までは、総武本線の東側に位置する総武台団地までは踏切を渡る必要があった。

 広告によれば、総武台団地は榎戸駅より徒歩12分。現代のグーグルマップで計測しても、距離は1㎞ほどで徒歩13分と表示されるので、当時の不動産広告には珍しくそれほどの誇大表記でもないが、榎戸駅周辺は下総台地のはずれで谷戸が多いために坂が多く、この猛暑では一抹の不安を覚える。また、これは榎戸駅周辺に限らず八街市内全般に言えることだが、歩道の整備が不充分であり、徒歩で向かうにはやや通過車両に神経を払わなくてはならない。
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榎戸駅から総武台団地へと向かう道。
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歩道は充分に確保されているとは言えず、急坂もある。

 榎戸駅周辺は宅地化の波に見舞われたと言っても、一部の大型住宅団地を除き、そのほとんどが場当たり的なミニ開発の繰り返しなので、今でも周囲は農村的な風景も色濃く残る。畑と分譲地が入り混じる、八街ではどこでも見られる光景だが、一方で、台地上の旧開拓地である八街では見かける機会の少ない谷津田もあり、そしてその谷津田に面した位置にもミニ分譲地が見える。
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榎戸駅周辺の農地。その奥に建売住宅らしき家屋の屋根が見える。
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市域の大部分が旧開拓地である八街市内ではあまり見かけない谷津田。分譲地も見える。

 やがて総武台団地へ到着するも、猛暑のため休憩を挟みながら向かったので、正確な所要時間を計測することはできなかったが、確かに駅徒歩圏であるとは言っても、それを売りにすることが出来るほどのアクセス性ではない、と言うのが正直な感想だ。
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総武台団地内。

 改修前の榎戸駅の旧駅舎にはバスを寄せられるようなロータリーもなく、また駅周辺にバス運行に適した道路も少なかったためか、かつてはバスターミナルとしても機能していた八街駅と異なり、元々榎戸駅周辺は路線バス網が発達しなかった。現在、総武台団地と榎戸駅を結ぶ八街市のコミュニティバスも、その運行本数は少なく、バスによるアクセス性も優れていない。しかし、団地の入口に設置されていたコミュニティバスの停留所は、屋根やベンチも設置され、一定数の利用者が存在することが伺えるものであった。
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八街市のコミュニティバス「総武台団地」の停留所。

 団地の造りはさすがに古さを感じさせるもので、道幅も広いとは言えず、多くの区画が擁壁の上にあるり、特に団地の北側はかなりの急斜面だ。古い住宅団地では典型的に見られることだが、この総武台団地もまた「台」を名乗りつつも、現実には丘陵の合間の谷戸を造成してあるもので、どちらかと言えば台地と言うより窪地と言った方が相応しい地理条件である。ただ傾斜地上に開発された住宅地というものは八街固有のものではなく、むしろ都市部ではごく一般的なもので、眺望や日照が確保されるメリットもあるので、当時はこうした開発が主流だったのかもしれない。
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1985年に撮影された総武台団地付近の上空写真。丘陵の斜面と谷津田の一部を造成して造られているのがよくわかる。
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丘陵の斜面に造成された区画は擁壁が設けられている。
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かなりの急斜面に造成された宅地。

 分譲からおよそ半世紀が経過しているにもかかわらず、現在も総区画の2割程度は空地である。広告を見る限りは、この団地は分譲当初から私設上水道や集中ガスのインフラも構築し、あくまで住宅地としての利用を想定したうえで販売していたと思われるが、当時は土地投機ブームの真っただ中で、宅地利用ではなく、投機目的で取得した購入者も多かったのであろう。

 駅からさして遠くもない立地にしては利用率が低いが、前述のように、榎戸駅周辺にその後より高規格な住宅団地が次々と建設されていく中、もっとも初期の分譲地である総武台団地は、市場においてその競争力を失ってしまったようだ。なお現在の総武台団地は、八街の公営水道が給水されているが(下水道は未配備)、集中ガスは今でも利用されている。
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開発から半世紀が経過した今もなお更地が多く残る。一部の区画は駐車場や菜園として利用されている。
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空き地の脇に残された売地看板。
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未だ住宅の建たない空き地に引き込まれた水道管。
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団地のはずれに位置する集中ガス設備。

 団地の中央部分には、開発前のものからと思われる用水路が流れている。団地の両脇には今も水田があるため残されているものだが、特にその脇に緑道を設置したりする工夫は施されていない。緑道はおろか、奇妙なことにこの団地には公園と呼べるものがない。総武台団地の西側に隣接して墓地と古墳(かわらめき古墳)があるのだが、これは公園の代替地となるものでもない。

 70年代は第2次ベビーブームの時代で、そもそも増大する人口に対応するために、この総武台団地も含めた郊外住宅地が矢継ぎ早に開発されていったものなのだが、数区画程度のミニ分譲地は別として、主に子育て世代に向けて販売されたこの時代の住宅団地で公園が設置されていないというのは、当時としてはむしろ異例のことで、水道や集中ガスまで網羅したこの団地で、なぜ販売業者がそんな標準的な設備を省いたのかはわからない。もっとも郊外団地の高齢化が進んだ今となっては、共有設備である公園の維持整備も地域住民の重い負担となっているケースもあるのだが。
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団地中央部を流れる用水路。谷津田をまたぐように開発された団地のため、今も団地の外側に残る水田の為に残されているものである。
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ベビーブーム真っただ中の開発でありながら、総武台団地には公園がない。

 団地の最上部へ向かう坂は、この炎天下で徒歩で上るのは億劫になるほどのものだが、さすがに最上段からは団地が一望でき、この立地を選んで住まいを確保される方の気持ちもよくわかる。最上段からの眺めは、家屋の戸数や種類を除けば、おそらく開発当時とあまり変わらないものだ。大気汚染に見舞われ、過密化する都市部を離れてこの農村の住宅団地を住まいとして選ばれた当初の住民の方も、この光景にはきっと満足していたものだろう。

 しかしさすがにこの傾斜地上の宅地は空き区画も多く、既に手入れが届いていない宅地も目立つ。そんな最上段の区画の階段が、区画の奥まで設置されていたので上ってみたが、その先は台地上の畑であった。階段の先には道路はなく立ち入ることはできないが、この階段の先に広がる平坦な台地こそ、明治の困民対策として行われた八街の旧開拓地である。
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最上部へ向かう坂はかなりの勾配である。
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最上部から望む総武台団地の全景。
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最上段の区画の階段を上った先には、旧開拓地である八街の台地が広がる。
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さすがに超郊外団地の例にもれず、傾斜地に造成された擁壁上は未利用のところが多い。

 さて、そんな総武台団地であるが、果たして現在の販売価格はいかほどのものであろうか。広告には「1区画100万円台よりお求めになれます」とは書いてあるものの、さすがに今日とは物価水準そのものが違い過ぎて参考にならない。この団地は当ブログでこれまで紹介してきたような、市街地からはるか遠く離れたような立地ではなく、決して至近とは言えないものの駅から徒歩でもアクセスできる住宅団地である。多くの郊外住宅地同様、ここも都心への通勤を想定したベッドタウンとして開発されたもので、気になるのは今日の販売価格である。
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総武台団地広告 (3)
総武台団地広告 (2)
総武台団地広告 (1)


 上にいくつかの物件サイトで確認できた物件広告の画像を掲載したが、安いものでは46坪で150万円、高いもので37坪で300万円と、坪単価はおよそ3万円から8万円といったところだ。しかし、上に掲載されている物件広告のほとんどは、もうずいぶん前から長く掲載されているもので、「この物件を1人がお気に入り登録しています」とあるのは、今回の記事の作成にあたって参考資料としてお気に入り登録した他ならぬ僕のことであり、正直あまり強い関心を持たれているとは言えない。

 なお、最安値である46坪で150万円の売地は、おなじみ日栄不動産の取扱い物件であるが、宅地上に幾本もの樹木が生育し、宅地前の電線に枝が絡みついてしまっている有様である(物件広告にもその模様の写真が掲載されている)。
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最安値の区画は樹木が高く生育し、枝が電線に絡みついてしまっている。

 ということで、総武台団地は、確かに当初の開発業者が広告で豪語したように、その後の八街の急激な人口流入を思えば、その立地の選定には先見の明はあったのかもしれないが、一方でなまじ開発が早かったばかりに、その後長く続く乱開発の時代、いち早く市場での競争力を大きく失ってしまった団地でもある。総武台団地は現時点では空き家も少なく、一部の空き地を除き特に荒れていることはないのだが、団地の規格や区画の狭さ、擁壁の存在、そして八街市における不動産事情などから鑑みても、今後の時代、この団地に新規に住宅が建築される見込みは高くないだろう。

 このような団地は、今、八街のみならず、首都圏郊外全域で見られるものであり、むしろある意味では僕がよく紹介する最果ての限界分譲地よりも深刻な問題を抱えていると言えなくもない。おいそれと原野に戻せるほど利用率が少ないわけでもなく、しかしながら団地の古い規格を大幅に改修できるほどの社会的要請もない。

 一朝一夕で解決できるような容易い問題ではないことは承知しているが、より荒れ果てた限界分譲地の現状を目にしてきた僕が今言えることは、まず今の時代、資産価値よりも、どんなに安値でも市場に乗せられるレベルの住環境の維持が最優先命題である、ということだけだ。別に僕が安く買いたいから言っているのではない。空き家は朽ち果てる前に手放し、空き地はそれこそ捨てるつもりで、必要な人の手元に渡す。それ以外に、こうした、時代の要請がなくなった古いベッドタウンに残された道はもうないと思うのだ。
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総武台団地へのアクセス

千葉県八街市榎戸・八街は
・総武本線榎戸駅より徒歩13分
・榎戸駅より八街ふれあいバス「北ルート」 「総武台団地」バス停下車