前回の「総武台団地」の記事でも触れたように、開発ブームが始まった1970年代初頭から、バブル崩壊後の90年代初頭頃までにおける新聞紙面上の不動産広告は、そのほとんどが、今日でもその名を聞く大手デベロッパーの手による大型分譲地や分譲マンションの広告である。当ブログの主要探索エリアである千葉県北東部の分譲広告も少ないながらあるにはあるのだが、やはりそのほとんどは、ある程度の区画数を確保した中規模以上の団地の広告であり、数十区画程度の小規模な分譲地のものはまず見かけることはなかった。
そんな中で、今回紹介する、1990年2月16日付の読売新聞紙上に掲載されていた、旧成東町(現・山武市)の建売分譲住宅「成東松ケ谷団地」の広告は、総武本線成東駅からバスで20分の立地に位置する、総販売戸数僅か16戸の小規模分譲地でありながら、大手新聞の都内版に掲載されていた珍しいものである。1990年と言えば時はバブルの絶頂期。この時代の新聞はひときわ不動産広告が多数掲載されていた頃で、広告に掲載されている物件のうち、都内23区に位置するものはそのほとんど全てが億単位の価格を付けられていたほどの地価狂乱時代である。
この当時は千葉県の県庁所在地である千葉市の建売住宅でも、7000万円から8000万円という価格が付けられるのが当たり前であった。そのあまりに暴騰した住宅費を避けるために、八街や東金、成東と言った、都心までのアクセスに劣る地域の、それも駅から遠く離れた限界分譲地にまで次々と住宅が建設されていったのもこの時代である。
上の画像がその広告である。広告によれば、販売住宅の延床面積は94㎡~103㎡、敷地面積は166㎡~173㎡であり、販売価格は2820万円~3380万円とのことである。販売価格だけ見れば、当時の都市部の住宅価格よりもずっと安く、一目見て衝撃を受けるほどの金額ではないように思えるが、この分譲地は成東駅からおよそ8㎞ほども離れた水田地帯の一角にあり、もちろん周囲に商業施設は皆無である。現在、成東エリアで同スペックの建売住宅を探すと、安いものでは駅からバスどころか、徒歩15分の立地で1630万円から販売されているので、立地の違いも含めると、おそらく今日の水準の倍以上の価格設定であろう。
と言うことで、さすがにこの成東松ケ谷団地は、前回訪問した総武台団地と異なり、バスの減便が繰り返された今日では、公共交通機関を利用して訪問するのはあまりに億劫なので(総武台団地も電車で訪問したわけではないが)、自家用車で軽く訪問してみることにした。行く前から分かり切っていたことだが、団地の周囲はやはり見渡す限りの田畑で、商業施設はおろか一般の民家すらほとんど見当たらない。九十九里平野の、このような超絶不便な立地に展開された分譲地のほとんどは、名目上は別荘地としての分譲であり、そしてそのほとんどが今も更地のままなのだが、一方で都心のベッドタウンとして展開された住宅地も存在するというのは、実は僕にとっても新鮮な発見であった。
そんな広大な田畑の一画に、身を寄せ合うように住宅が立ち並んだ一画があり、それが目指す成東松ケ谷団地である。広告に掲載されている建物の写真は、施工例として紹介された別の分譲地のものなのだが、外観を見る限りでも、同一の施工会社によるものであることは明らかである。
近づいてみると、さっそく目に入ったのは、雨戸も締め切られ、雑草も伸びたほとんど居住感のない建物で、おそらく空き家であると思われる建物だ。雨戸も錆び、バルコニーの床が一部朽ちているのが確認できるが、ここは海からもそれほど遠くない立地なので潮風の影響によるものだろうか。
少し奥へ進んでみると、「好評売出中」と書かれた看板とのぼりが掲げられた、綺麗にリフォームされた家屋が目に入る。会社名を見ると、こうした中古住宅を買い取り、徹底的にリフォームしたうえで再度販売する住宅販売会社「カチタス」の物件であった。不思議なことに、現在も成約している気配はないにもかかわらず、なぜかこの成東松ケ谷団地の売家の広告は、カチタスの公式サイトでも紹介されていないのだが(ちょうど成約直後なのかもしれない)、偶然にも、僕は半年ほど前に、Twitter上で物件情報をつぶやく際の参考画像として、カチタスが出稿していたこの物件広告のスクリーンショットを保存してあった。
その広告を見ると、売値は1099万円とのことで、正直なところ、築30年経過した、しかも成東駅より徒歩110分の家屋と考えると、その販売価格はひどく高額に感じてしまう。実際のところは、たとえ200~300万円で投げ売られている現状渡しの物件でも、壁から屋根から水回りからすべて業者発注でフルリフォームすれば、合計ではおそらく同程度の金額を要するであろうし、もとより購入後すぐにリフォームする予定のある方は、カチタスの物件はリフォーム費用も低金利の住宅ローンに含めることが出来るので、カチタスのビジネスモデルも一概に否定できるものではないのだが、それにしても成東界隈で1100万円もの予算を出すのなら、もう少し他に選択肢もあるのではないのかと、つい余計なことを考えてしまう。なお、このカチタスの売家から2軒隣に、全く同じ外観の、空き家と思われる家屋が存在していた。
ここは非常に規模の小さな分譲地なので、これ以外に特に際立って変わった模様はなく、強いて言えばある住宅で、庭を潰して駐車場スペースの拡張工事が行われていたことである。昨今は郊外住宅の高齢化が進み、また公共交通の衰退によって、より自家用車への依存度が高まるにつれ、手入れに手間の掛かる広い庭はあまり好まれず、中古住宅でも、元は庭だったスペースにコンクリートを打って駐車スペースに転用しているものはよく見掛ける。
ただ、よくよく考えると、この分譲地は販売当初は16戸であったものの(団地南側の7戸の区画は別の分譲地であるようだ)、雨戸が締め切られて、家財道具もなく、草刈りが行われていない家がすべて空き家であった場合、空き家が3戸、売家が1戸、そして表札の名前にテープを貼って修正していた家が1戸あったので、少なくとも5戸が、既に当初の購入者が手放したか、あるいはほとんど未利用のままであるということである。立地条件の悪い限界分譲地は住民の入れ替わりが激しいものだが、ここもなかなかの割合で住民が入れ替わっていることが推察できる。僕も好き好んで限界分譲地の家や土地を探しているが、現実はなかなか厳しいものであることを思い知らされる光景である。
成東松ケ谷団地へのアクセス
千葉県山武市松ケ谷ロ(ろ)
- 総武本線成東駅より車で8㎞
コメント
連続投稿ありがとうございます。ニュータウン定番の山、勾配、盛り土(ブロック)タイプじゃなくて明るい雰囲気がしますが立地が悪いんですね。周りが空き家ばかりだと治安、防犯面が心配です。
話はそれますが現代は土地分譲も建て売りもすぐ売れてます。 地元不動産が見つけてくるからなのかな。
通る機会があれば見てきます。
山武 東金 大網に よくありがちな 小さな分譲地ですね。もともと田んぼだった所が多くて 傾いてることも多いですね。
カチタスは 売値と仕入れ値の差額から
リフォームに掛けられる金額を出して
リフォームの内容も金額も カチタスが決定します。MAXで300万で 粗利は10%だけど
やるなら 仕事は切れずにありますよってシステムです。
昭和から平成初期の物件を買って
一通りリフォームして 市場に放出するって感じの不動産屋にしろ 一般大家さん業の人にしろ ちょっとしたブームですね。
空き家が増え続けてる現在
仕入れ値が それだけ安いって事なんでしょうね。
>>匿名さん
コメントありがとうございます!
仰る通り外房の分譲地は、特にこの季節は雰囲気が明るくて良いのですが、何にしてもこのあたりは公共交通機関もほとんどなく、お店も少ないので、こういう戸建てのメインユーザーである子持ち世帯には、子供の通学面でかなりきついものがあると思います…。
最近の建売は商業施設に近接した地域に建てるのが主流で、しかも古い分譲地と違って駐車場スペースも豊富に確保しているので、大体みなそちらを選んでしまいますね。
>>リフォーム屋さん
コメントありがとうございます!
この手の分譲地は更地ばかりのことが多いですが、たまに建物が隙間なく建ってるところもありますね。あれも都心への通勤を想定していたとは意外でした。
僕も中古物件情報をよく見ていますが、なんかこの辺の空き家は、一般ユーザーが買うよりも、カチタスや投資家が買うことのほうが多いんじゃないのか、と思えるくらいですね。担保価値がないところはローンもキツイですから、物件価格にリフォーム代を含めてしまうのも一長一短なところもありますが、実際2階建ての家となると、なかなか素人でどうこうリフォームできるものでもないですからね、。
こんばんは。総武台団地もこの団地も現代では実需ユーザーが見出せないですね。そもそも
総武本線佐倉以東は他の路線と比べて東京直通列車の本数が少なく、ベッドタウンとしての価値は無いですし、住宅地敷地や道路が狭く車使用前提立地なのに住みづらそうです。生活インフラも電気以外の生活インフラが心もとないというのもきついですね。かといって地元住民の需要は少ないでしょうし、カチタスが頑張っても購入客を見つけられるか怪しいですね。ここでも売っただけの地主が一番得をしているのでしょうね。
すこし話がかわりますが
最近不動産関連をみてると激安築古物件を再生させて
貸す流れが流行りみたいなんですがそれをいろいろみてると
「茂原」とい地名がよく出てきます。
茂原はどんな所ですか?
>>SU-100さん
コメントありがとうございます。
総武台団地は、電車通学する子供がいる世帯なら、まだ貸家の借り手は付くかもしれませんが、松が谷団地はちょっと厳しいですね…。この立地でこの家屋の密集度では、僕でも食指は動かないというのが本音です。
>>DAさん
コメントありがとうございます。
茂原は、千葉県中南部では最大規模の町で、外房線の快速も停車するので、店も多く町はそれなりの大きさです。ただこの町、例によって凄まじい分譲地の乱開発があって、市内全域に空き地だらけのミニ分譲地が散らばっています。
今はわからないですが、少し前まで、茂原のハローワーク求人の有効倍率は0.4を切ってしまうほど求人数が少なく、その時に持ち家を手放した方が多いのではと思います。いつかこのブログでも茂原のことは書こうと決めているのですが、うちからは遠いのでいまだ実現していません…。
なるほど
どうも激安で買ってDIYでなおして地域最安値で貸してしまおうというビジネスモデル
みたいなので最近気になってます。
定期的に興味深くブログを拝見させて頂いておりましたが、初めてコメント致します。
記事内容と直接関係がなく恐縮なのですが、「こち亀」で一時期よく取り上げられていたネタとして住宅問題がありました。地価が高く都内でマイホームを持つことは困難のため、部長が自分で購入したマイホームを披露したり、部下に郊外のマイホーム購入を勧めたり、悪徳不動産屋が寺井に不便で辺鄙な土地を購入させたりといった内容だったと思います。
これらの話の舞台が、吉川様が紹介されているような千葉の郊外の土地であり、当時の土地神話や地価高騰が現実であったということを実感し、驚いている次第です(当時の私は子供で、東北の田舎に居住し、読んでいても全く実感がなかったので)。
茂原には日本有数のガス田があり、またその関係もありかつては三井東圧や日立(女子バレーには「日立」の他に「日立茂原」というチームも1部リーグもあった)といった大きな工場も存在した、工業都市の面もありました。
だから割と昔から住宅地は存在していたと思います。
>>RADさん
コメントありがとうございます。
僕も、「こち亀」の寺井の家選びや、大原部長の自宅のエピソードはよく覚えています。僕も静岡の出身なので、その当時はあまり読んでもピンと来ない部分もあった点も同じですね! 大原部長の娘婿が松戸の五香に家を購入したと部長が語るシーンがあり、その五香というチョイスが、近すぎず遠すぎず、庶民的でリアルな描写だと後にわかりました。
>>通りすがりさん
コメントありがとうございます!
茂原は、僕がいずれはこのブログで紹介したいと考えているラスボスのような存在です。成田空港の開港の歴史とは特にかかわりはないのですが、あまりにスプロール化の状況が激しく、あれは特筆すべきものだと考えてはいるのですが、何せ茂原だと自宅からも近くないので未踏のままです。