ネットメディアの保存手段

旧サブブログ: 海辺の限界分譲地

 昨日、自宅で原稿を書いている合間に、ちょっと息抜きでTwitterを見ていると、フォロワーさんが引用リツイートでとあるブログを紹介していた。

 それは、現在ウクライナで起きている戦乱について、主にロシア軍の戦況について考察したものなのだが、その情報量と洞察力は圧倒されるものであった。一読しただけで、それは国内(日本語)で出回る断片的な情報を繋ぎ合わせて書き上げられるものではないことが理解できる大作である。

記事リンク「ロシア・ウクライナ紛争は20世紀型の全面戦争に 『炭坑のカナリア、炭鉱の龍』」

 このブログ自体は、以前も何度かリツイートで紹介されていたのを目にしたことはあったのだが、平時は金融市場に関する記事が中心で、金融知識0、加えて貯蓄も0の僕にはまったく無縁で理解不能な話なためにノーマークだった。いったいこの筆者は何者なのだろうか。

 僕の執筆の仕事は、完全に副業というか、生活費の足しという程度の量である。経験も乏しいし、そもそも物書きを目指したことなど一度もなかったこともあって、いまいちプロ意識というものが芽生えてこないのだが(専業で食えなきゃそもそもプロでもないかも知れないが)、このブログは、とりあえずそんな理屈は抜きにして、全裸、いや裸足で逃げ出したくなるほどのものだった。なぜこれが無料なのかまったく理解できない。

 今回のこのウクライナ侵攻の考察は、おそらく今後書店に同様の書籍が並んだとしても、果たしてこれに太刀打ちできるかどうかも怪しいほどの素晴らしいもので、現在進行系の紛争であるためにこれで完結とはいかないが、のちにウクライナ侵攻を振り返る上で、貴重な日本語の記事となりうるものだ。

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 ということで、この記事は早速PDFファイルとして保存させていただくことにして、併せてプリントアウトして紙媒体でも保管させてもらうことにした。最近はよく指摘されるようになったが、ネットメディアというものは、残念ながら書籍と比較しても保管性が悪く、恒久的に保存されるものではないからだ。

 現在も鋭意更新中のブログに向かって、いずれ消える可能性もあるなどと推測するのは非常に無礼な話だが、しかしこれまでにも、運営者の個人的事情による閉鎖や、運営会社のサービス終了などに伴い、二度と読むことができなくなってしまったネットメディアというものは数多存在する。若き日の僕が、夢中になって読んだはずのサイトも、今はもうほとんど残されていないのではないだろうか。

 僕はブログを書く上で、知人より資料を提供してもらう機会がたびたびあるのだが、それらの資料の中には、昔知人がネット記事をプリントアウトしたものが複数ある。これらの資料も、元のサイトはもう残されておらず、資料の性質上、再入手はほぼ不可能で、今はもう、その知人がプリントした紙媒体でしか読むことができない。

 ネットの情報は半永久的に残るとはよく言われてきたが、近年になってその認識も改められつつあるように見える。一方で、今すぐ跡形もなく消え去ってもまったく差し支えのない「いかがでしたか?」「調べてみたけどわかりませんでした」系のブログは、相変わらず日々大量生産され、公開と同時に即座に鮮度が劣化してそのままデジタル空間に投棄されている。良質な情報もそれに巻き込まれて埋もれていく一方だ。

 特に論文や行政文書は、PDFファイルでアップされていることが多く、アーカイブも行われないので消えてしまったら再入手は絶望的だ。有用な記事は、可能な限りPDF化し、できれば印刷もして手元に残しておくのが望ましい。本当に、消えてしまってから悔やんでも遅いのだ。

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