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 当ブログは原則として、今現在の限界分譲地の模様と問題点をお伝えするというスタンスなので、例えば当初の開発業者名など、既に過去の時代のものとなった情報の収集にはあまり主眼を置いていないのだが、記事によっては多少は歴史的経過に触れる必要があることもあり、その際常に悩まされるのが圧倒的な資料不足である。

 限界分譲地を抱える自治体の多くは、分譲地に特化した問題意識はなく、民間業者が主導して進めた宅地開発に関して、ほとんど何の情報も持ち合わせていない。また、都心方面への通勤が現実的なレベルの立地に開発された郊外型ニュータウンの分譲を行った大手事業者と異なり、70〜80年代に投機商品として宅地開発を行った開発業者は、今ではほとんどが倒産・廃業している。

 地元で長く営業を続ける不動産業者は、当時の模様をよく知る方も多いとは思うが、彼らも商売であって、特に買う気もなく、ブログで資産価値が下がることばかり書いている変な奴の相手をするとも思えず、残るは今なお当時の分譲地を所有する購入者であるが、これもまた、皆既にかなりの高齢であるはずで、しかも出来れば積極的にその記憶を語りたがらない方が大半なのではと思われる。
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 そんな折、僕は今回知人の方より、1987年(昭和62年)に発行された、香取郡大栄町(現・成田市)の投機型分譲地の折込販売チラシ(のコピー)をご提供いただけるという幸運に恵まれた。不動産広告に限らず、新聞の折込広告を保管する方はあまりいないと思うが、これは田舎の不動産の取得をご趣味とされていた知人のお父様が、分譲から33年が経過した今も大事に保管されていたきわめて貴重なものである。

 1987年というと投機型分譲地の開発としてはやや後発のものだが、時はいよいよ地価狂乱のバブル期に突入する前夜。いまだ多くの日本人が土地神話を信じていた当時の宅地分譲の模様を伝える興味深い資料であるため、今回ここで是非紹介したい。

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 年代物の薄い紙質の印刷物をコピーしたものなのでやや見辛くて恐縮だが、上の画像がその折込広告である。販売者は東京墨田区の三光開発株式会社。記載された住所ををグーグルマップで調べると、ビルは残っているようだが、既に会社は存在しないようである。

 「場所と値段で勝負! 100㎡(30坪で1区画)で54万円!」とのことで、意外と安いのではと思われた方も多いと思うが、それは業者の思う壺である。この売地、このチラシの所有者である知人のお父様が、当時実際に現地まで見学に行かれたそうなのだが、30坪で54万円で取得できるのは、分譲地の片隅に位置する、到底宅地として利用できない細長い斜面のみであり、まともに宅地利用ができる平坦地の区画は、大体坪5〜6万円ほどの価格だったそうである。つまり囮物件ということだ。

 広告表面の左下には「成田市郊外土地販売 成田中野苑 無指定区域」とある。分譲地というより介護老人施設みたいな名前だが、既に述べたようにこの分譲地は、今でこそ合併を経て成田市内となったものの、当時は隣の香取郡大栄町に位置していたものである。しかし広告を見ても、大栄町の名前は、物件概要の所在地にほんの小さく記されているだけで、目立つところは「成田」の文字ばかりであり、成田駅の写真もある。

 これに関しては、現在の不動産販売でも、その所在地でなく、近隣のよりネームバリューの高い地名を冠することは普通に行われているのであまり違和感もないのだが、これでは大栄町の立つ瀬がない。まあ、確かに「字ビッタ塚」では、とてもじゃないけど発展しそうな雰囲気は感じ取れないので、ここは空港開港から約10年を迎えた成田のネームバリューを拝借するのが無難なところであったろう。

 裏面を見ると「使ってよし、持っててよし」との実需を想定していないキャッチコピーの下に、業者からの熱い煽り文句が散りばめられている。これは必見のものなので、長くなるが全文を引用したい。


「現在、地価の値上がりには歯止めが決かない(ママ)状態です。特に、大都市の高騰ぶりには驚くばかり。政府もその対応に苦慮している有様です。しかし、反面、日本人の土地に対する所有欲は際限がありません。それは、日本では土地はすべてに優る資産として高く評価されているからです。この広告をお読みのあなたもその一人だと思います。資産家といわれている人は、まず何よりも土地を持っています。その土地も最初は大変に安かったに違いありません。それが時を経るとともに何倍もの値上がりを重ねて大きな価値を生んでいるのです。さあ、あなたもいかがですか? この発展が期待される(言いかえれば、値上がりが見込める)成田郊外の土地をお求めになっては…! 今なら、まだこんなに安く買えます。家計にも響かない支払い方法もあります。とにかく、一度ご自分の目で確かめることが第一です。ぜひ軽い気持ちでご覧になって下さい!」


 いやはや、なんというかまさに「土地神話」そのものである。僕は1981年の生まれで、この地価狂乱の時代を実体験として経験した世代ではないので、知識としてそんな時代があったことは知っていても、それにしても能天気な売り文句だと鼻白んでしまう。これを書いていた当人も、おそらくその土地神話に、疑いを挟むこともなかったことが伺える文章である。住宅地の販売広告でありながら、生活環境への言及もなく、住宅用地としての利用をまったく想定していないところも興味深い。

 だが、実際に我が国では、これが能天気だと片付けられない、すさまじい地価高騰と開発ラッシュが起きていたのは紛れもない事実である。ある時代まで、この売り文句は、嘘でも大袈裟でもなかったのだ。「家計にも響かない支払い方法」が、実質年利17.25%の5年ローン払いというのも時代を感じる。現代の消費者金融並みの高金利で、家計に響かないどころか、今なら破綻まっしぐらであろう。

 文面から見ても、またその広告の頒布方法から見ても、これは資産家向けというより、資産形成を目指した一般のサラリーマン向けという感じで、今日のマンション投資に通じるものがある(同じか)。当ブログでこれまで紹介してきたように、成田空港周辺には、このように投機商品として開発・分譲された分譲地が星の数ほどある。今では見向きもされなくなったそれらの名もない小さな限界分譲地も、このようにそれぞれに名前が付けられ、開発業者が見学者のタクシー代まで負担し(成田駅からだと結構な額になるはずである)、華やかに売り出された時代があったのだ。

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 と言うことで、「ご自分の目で確かめることが第一」「ぜひ軽い気持ちでご覧になって下さい」とのことなので、実際にチラシ片手に成田市中野まで足を運んできたのだが、「この発展が期待される」はずだった「緑ゆたかな自然の大地」は、30年の時を経た今もなお緑豊かなままで、おそらく分譲当時とほとんど変わらない光景がそこにある。
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 案内図に目印として記されている「デコライン㈱」の看板は今でも残っており、見つけるのは容易い。なおチラシには、最寄りのバス停である、当時の千葉交通の「中野原」バス停の写真が掲載されているが、この路線はすでに廃止となり、現在は成田市コミュニティバスの津富浦ルートが、この地域の公共交通を担っている。

 分譲地自体は小規模なもので、分譲地前に一部未舗装の区間が残り、80年代後半の分譲地にしてはやや古びた様相だが、別段変わったところもない平凡な限界分譲地である。ただし一部の区画には大阪の謎の業者の看板が立ち、そこだけもはや立ち入り不能なほど篠竹に覆われてしまっている。
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今も残る「成田中野苑」分譲地。
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今でも普通に居住者もおり、限界分譲地としては特に語ることもない平凡なものである。
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大阪の業者が扱う土地だけ突出して荒れている。

 現在の旧大栄町の分譲地は、場所によっては坪1万円でもなかなか買い手がつかないほどで、何倍もの値上がりを重ねるどころか、下手したら10分の1以下にまで価格は暴落し、多くの限界分譲地が、今なお農村の片隅に置き去りにされていることは、もはや改めて述べるまでもないだろう。住宅地ではなく、資産形成のための投機商品として乱開発された分譲地は、おそらく北総だけで何千区画にも及び、その正確な数は、もはや誰にもわからない。



「成田中野苑」へのアクセス

・成田市中野
圏央道下総インターより車で20分
京成成田駅より成田市コミュニティバス「津富浦ルート」 「中野原」バス停下車