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 これまで公開した記事の中で、僕は何度か、分譲地の販売当時の新聞広告を紹介しているが、これらの広告はすべて図書館にある新聞の縮刷版を当てずっぽうに探して見つけたものを複写している。紙面広告には報道記事のような索引もなく、1か月ごとに刊行されている分厚い縮刷版の中から有用な広告が見つけられるかは、まさに運任せでしかない不毛な作業だ。
    
 今でこそネット媒体にシェアを奪われ広告費の減少が著しい新聞広告だが、高度成長期やバブル期にかけては、新聞紙面広告の掲載料金はまだ高額で(今でも安くないとは思うが)、資金力の乏しい中小企業ではおいそれと出せるものではなかったはずである。そのため、新聞に掲載されている不動産広告は基本的に都心近くの分譲マンションや、郊外でも主要駅近くに展開された大手デベロッパーの開発団地がほとんどであり、当然のことながら、得体の知れない無名会社が適当に開発したような超郊外の限界分譲地の広告など皆無である。
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駅からも遠い、北総の僻地に開発されミニ分譲地の新聞広告を見かけることはほとんどない。

 しかし、地価がピークに達した80年代後半~90年代初頭にかけては、北総・東総の、駅からも遠い小規模なミニ開発地でも、売主である都市部の開発業者が背伸びして掲載した紙面広告が散見されるようになる。以前当ブログで紹介した「成東松ケ谷団地」の広告もその一つだが、そうした2流の分譲広告の特徴として、同時期に掲載されている他地域より格段に分譲価格が安い反面、本当にここから都心まで通勤しようと考えたチャレンジャーなど存在したのかと、さすがに疑問に感じざるを得ないほど交通不便な僻地に位置していることが挙げられる。

 今回紹介する「成東・南郷台分譲地」も、そんなバブル期末期に紙面広告が掲載された超郊外ミニ分譲地のひとつ。総武本線の成東駅から、およそ4㎞強の九十九里平野の一角に位置する、販売個数わずか6戸の小規模なミニ分譲地だ。分譲地名の由来となった「南郷」とは、1954年に旧成東町と合併し消滅した旧南郷村一帯のことであり、近隣の小学校に今もその名前が残る、九十九里平野の古い農村である。
南郷台広告
「成東・南郷台」分譲地の紙面広告。(朝日新聞1991年1月24日付)

 しかし、九十九里平野はそもそも、太古の昔は海だったものが、海岸線の後退と、それに併せて進められた干拓によって生まれたものである。南郷地区は現在の海岸線からは5㎞ほど内陸に位置するものの、海抜は6m程度しかない。そんな低地の住宅地でも、開発業者の手に掛かればアラ不思議、あっという間に(名前だけが)台地上の住宅地に生まれ変わって販売されてしまう。
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かつては海の底であったはずの湿地に形成された水田の向こうに、なぜか台地として販売された南郷台分譲地が見える。

 広告を細かく読んでみると、交通機関は、成東駅から八日市場(匝瑳市)行きのバスで10分、「富田東」バス停下車27分、とある。八日市場行きのバスは今は廃止となり、現在はこの南郷地区をはじめとした旧成東町の南東部は、コミュニティバスの路線もない交通空白地帯となっているが、しかしバスで10分、バス停から徒歩27分では、バスの接続が悪ければ、成東駅に到着したらそのまま徒歩で向かっても大して時間は変わらないどころか、下手したら先に着いてしまうほどだ。

 広告には東京駅から成東駅までの所要時間(特急)も記されているが、はっきり言ってこの交通手段の貧弱さでは、成東駅までの所要時間の記載などもはや何の意味もない。のちに減便・廃止となってしまったと言うのならまだしも、最初から交通機関が断絶したエリアにも平然と建売住宅が建てられ、そしてその販売広告が、地元の折込広告ではなく、大手新聞紙面に掲載されていたのがバブルという時代であった。

 まあ、実際のところは、成東駅まで車で行き、そこから電車に乗り換えて通勤することを想定していたのだろうとは思うが、それにしても駅までの時間を一切考慮せずただ電車の乗車時間のみを宣伝材料にし、しかもそれでも1時間12分というのは、まったく今では想像もつかない通勤地獄である。
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販売当初から交通空白地帯であった南郷台。

 広告には他にも、中谷之下海水浴場や(横芝)海のこどもの国など、今は存在しない海水浴場やレジャー施設までの所要時間も記されているが、徒歩7分の位置に存在したというスーパーも今はなく、現在、南郷台の周囲には、小さな個人商店と郵便局を除き商業施設はまったくない。

 南郷台分譲地には、今も数区画の空き地が残る。通常、建売住宅というものは、販売業者が一定の面積の未利用地を取得したうえで、宅地の造成、あるいは既存建物の解体から、住宅の建築までを一挙に行って販売されるものであり、建売の分譲地に空き地があるのを不思議に思う方もいるかもしれないが、これには北総固有の事情が背景にある。
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南郷台分譲地の空き地。

 山武市を含め、当ブログで紹介している北総台地や九十九里平野の市町村には、70年代から80年代半ばころまでの間にすさまじい数の分譲地が投機目的で造成・分譲されており、バブル期を迎えた時点で既に、値上がりを見込んで塩漬けにされ続けていた膨大な数の分譲地が市場に放出されていた。あまりに不便すぎる立地であるがゆえに、分譲当初から実際に宅地として利用していた住民は極めて稀であったのだが、暴騰する地価のあおりを受けて、そんな分譲地にも家屋が立ち並び始めるようになったものだ。

 地価高騰は、エンドユーザーである住宅取得者のみならず、業者側の住宅用地の取得をも困難にさせていた一面もあったようで、北総におけるバブル時代の建売住宅は、そんな古い時代の限界分譲地を再利用する形で建築されたものも少なくない。この南郷台の建売住宅は、周囲にはまだ整形地の空き地が数区画も残されているにもかかわらず、広告で販売された6戸のうち3戸は、わざわざ奥まった位置の旗竿地に建築されており、当時の住宅用地の取得の困難さを今に伝えている。
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分譲された6戸のうち、3戸の敷地は旗竿地となっている。

 旗竿地は地価の高い都市部の分譲地でよく見られるものだが、北総の分譲地でも旗竿地の区画はよく売られているのを見る。しかし、区画の大半が更地である限界分譲地において、他に腐るほど選択肢がある中で(しかも安価)、わざわざ積極的に狭い旗竿地を選択する人は滅多におらず、価格は限界まで下げられていることがほとんどだ。この南郷台の建売住宅も、おそらく少しでも土地の取得費用を抑えるために、3戸はあえて旗竿地を選択したのであろう。あるいはより条件の良い他区画の所有者と、価格の折り合いがつかなかったのかもしれない。
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成田市稲荷山「リバティヒル500」の旗竿地の売地広告。このくらいの価格にしないと、北総で旗竿地の売却は難しい。(アットホームより)

 さて分譲地内の模様だが、この南郷台の建売住宅の6戸のうち、はっきりと住民がいると確認できるものは1戸だけで、残りの5戸は、2021年の3月時点でも居住者がいるのかどうかよくわからない状態が続いている。また、1戸は数年前から中古住宅として販売広告が出され続けており、本記事執筆時点でもその広告はまだ残されている。

 しかし初訪問時には、敷地内に家財道具などの残置物が積み上げられていた家も見られたが、今回の執筆にあたって改めて見学してみると、その荷物も撤去されており、また前述の売り家も、室内の残置物を運び出し始めている模様が見られたことから、今後再利用の予定があるのかもしれない。元々九十九里平野の住宅は、当初の取得者は住宅として利用していた家でも、のちに売りに出されて購入した方が別荘に使うケースもあり、空き家なのかどうか見ただけでは判断しにくいケースが多い。

 ちなみに余談であるが、グーグルマップのストリートビューでは、この南郷台は恐ろしいほどの数のオオキンケイギク(特定外来種)が咲き乱れている。
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数年間にわたって掲載され続けている南郷台の中古住宅の広告。
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広告の売り家。この家も旗竿地に建つ。今回の訪問時に残置物を運び出している模様が見られたので、成約したのかもしれない。
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屋根上のアンテナも倒れ、利用している気配が見られない家屋。門扉は針金で留められている。
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玄関側に車両が放置されている旗竿地の家屋の裏側。この家はおそらく空き家で間違いないと思われる。

 しかし気になるのは空き家よりもむしろ地盤である。この南郷台分譲地は、台地を名乗りながら、実際には二方を用水路に囲まれた立地なのだが、そのためかどうも地盤が緩いようで、道路の一部分に著しい陥没が見られる。前述の売り家が数年間にわたって売れ残っていた理由の一つはこれだと思うが、最近の北総の不動産市場は、とにかく大家業を目指す投資家の登竜門として安戸建てが次々と取得されている状況であり、数百万円台の中古住宅が恒常的に品薄になってきているので、このような不利な条件にある中古住宅も、以前よりは売りやすくなっているのかもしれない。

 ただ一人不運なのは、今も更地を所有し続ける地主で、それこそバブルの頃に建売販売業者に売ってしまえば良かったものを、手放すタイミングを先延ばしにし続けるうちに資産価値はジェットコースターのごとく下落していき、おまけに地盤も沈下したとなれば、もはや住宅用地としての売却は不可能に近いと言えよう。
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台地を名乗りながら、実際は水田の用水路に囲まれた南郷台。
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何もしていないのに沈下を始めた路盤。

 ただ、この地盤沈下の一件を除けば、南郷台分譲地は規模も極めて小さく、とりたてて特筆する話題にも乏しい平凡な限界分譲地だ。周辺の別の分譲地も、もともとこの地にあった既存集落の合間を縫って開発されているので、地域一帯にはそこまで寂れた印象もない。だが、この農村の一角に位置する小さな小さな分譲地が、分譲当初は全国紙にその広告が掲載され、首都圏の住民に広く宣伝されていたとは、今ではなかなか想像できない話である。

 最初から交通手段も途絶していた売れ残りの分譲地の、しかも売却時に大きく不利となる旗竿地に建てられた建売住宅で、それでようやく3000万円まで取得価格を落とすことができたバブル時代。長引く経済低迷の中、かつてのバブル期に生きた世代への恨み節も散見される昨今だが、当時の悪夢のような住宅事情を振り返る探訪を続けている僕には、この時代を生きた人たちがただ無条件に得していただけとは、やはりどうしても思えないのだ。
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成東・南郷台分譲地へのアクセス
山武市上横地


・圏央道山武成東インターより約7㎞
(南郷台分譲地の訪問に適した公共交通機関はありません)