横芝光町は、僕が知る限りでも、家屋が一棟もない小規模な放棄分譲地の多い町である。区画数にして10〜50区画程度の、すべて空き地のまま放置されている分譲地は、現地に出向くまでもなく、グーグルマップや国土地理院の空撮写真を念入りに観察しているだけでも容易に特定可能だが、先日サブブログでも触れたように、そうした放棄分譲地のほとんどは建築不可である。
僕の自宅からも近い横芝光町木戸、栗山川沿いに広がる水田の片隅にも、総区画数わずか8区画の小さな小さな放棄分譲地がある。田んぼと畑の間に伸びる細い農道の奥にあるその分譲地は、既存集落の住宅こそ北側に近接しているものの、その分譲地に至るまでの道路脇には物置小屋ひとつなく、電柱もない。ただひっそりと部分的に草刈りが繰り返されているだけの無用の長物である。
ところが、この分譲地の売地の広告を見ても、「建築不可」の文字はどこにもなく、物件概要の「接道状況」には、しっかりと「南西の道に接道」と記されている。たまに書き忘れている広告もあるが、建築確認が下りないなどという、住宅用地としてあまりに過大すぎるほどの致命的な欠陥については、通常であれば広告にその旨しっかり記載されているものだ。
そこで、横芝光町役場の都市建設課に出向いて、当該分譲地の接道状況を改めて確認したところ、驚くべきことにその分譲地の私道は建築基準法第42条1項3号道路、つまり既存道路(1950年の建築基準法施行時、あるいは都市計画区域指定時点で既に存在した道のうち、国道、県道、市町村道以外で行政が道路として認定したもの)として認定されていて、実際にそんな酔狂な者が現れるかは別として、ここは「理論上」建築は可能な放棄分譲地であった。
それならば、せっかくなので紹介しようと現地の模様を改めて撮影に行ってきたわけであるが、いくら法的に建築可能であると言っても、最寄りの電信柱から数百mも離れているとなると、電気の引き込みは期待薄であると言わざるを得ない。
電力会社には供給義務というものがあり、現代の生活に必須のインフラ設備である電気については、基本的に電力会社は利用者から、引き込みの申込みを受けたら、電柱を新設して供給しなくてはならない。しかし、他に家屋もないような放棄分譲地への引き込みは、当たり前かもしれないが電力会社としても採算性の悪い業務であり、そのため優先順位は低いらしい。
僕が知るだけでも、本記事執筆時点で二人の小屋暮らし系YouTuberが、千葉県内の放棄分譲地に自作小屋を建築すべく、東京電力に引き込みの申込みをしているのだが、お二人とも、申込みからすでに半年以上経過したにもかかわらず、未だに工事開始の目処すら立っていない状態である。電柱設置のために借り受ける私有地の用地交渉に難航することもあるらしい。
そのため、現実的にはこの分譲地を、建築費用を金融機関からの融資に頼るような、一般住宅の建設用地として利用するのは困難であろう。あるいは土地を先に購入し、気長に電柱設置を待って、無事に設置が完了してから住宅建築を開始することになるのだろうか。それも現実的な話ではなく、電柱のある別の分譲地を選べば良いだけの話である。
もっとも、2022年1月現在で物件サイトに掲載されているここの売地は、わずか39坪で300万円という、それこそ「理論上」売却可能であるというだけの非現実的な価格設定なので、いずれにせよ誰も買う者などいないのだが、それはともかくとして、いざ現地に赴いて分譲地の模様を観察していると、私道上に消火栓のマンホールが埋設されているのを発見した。
マンホールの位置から分譲地の前面道路(町道)まで、水道管の埋設工事を行ったらしき形跡もあり、まことに奇妙な話だが、どうやらここは水道管が引き込まれているようなのだ。旧光町域の水道事業を管轄する八匝(はっそう)水道企業団に、水道管の埋設状況を確認したところ、やはり1988年に水道管の埋設工事が行われており、ご丁寧にも各区画の敷地内まで引き込みも完了していた。だが言うまでもなく、実際にここの上水道設備が利用されたことはなく、長年草刈りが繰り返され枯草や砂が堆積された今となっては、一見しただけでは引込管がどこにあるのかもわからない。
九十九里平野は、元々は海底、あるいは湿地帯だったところを干拓して陸地にしたところが大半なので、井戸水自体は数mも掘れば湧出するところがほとんどだとは思うが、その水は金気水で生活用水として適さないことも多いらしい。そのためか、九十九里平野の自治体は、八街や芝山、成田の奥地(旧下総町や旧大栄町)などの内陸部と比較すると、公営の上水道の普及率は高く、我が家もそうだが、割と辺鄙な限界分譲地でも上水道は配備されていることが多い。
しかし、それにしても、電柱もなく、誰も住宅建築の予定もなかったような水田の片隅の分譲地にまで、はるばると水道管の配管工事を行っていたというのは悪い意味で驚嘆に値する。水道管は、こんなわずか8区画のミニ開発のためだけに、北側に位置する県道飯岡片貝線上の既設配管からおよそ300m弱に渡って引き込み工事が行われており、その工事費用は結構な額であったはずである。電柱もないのに水道ばかり引き込んで、なんとも無駄過ぎるインフラ工事だが、もちろんその工事代金は分譲価格に反映され、最終的にその無駄なインフラ工事の代金を負担したのは買主である。
企業団にしてみれば、埋設工事は業者が負担するものであるし、そこが将来的に住宅用地としての利用が見込まれる立地であるかまで見極めなければならない道理はなく、ましてや水道事業とは無縁の電力会社と折衝を重ねる必要など何もなかったのだろう。だが、そもそも住宅用地としてなんの合理性もない立地のミニ開発地の私道を建築基準法上の道路として認定し、水道管まで埋設したものの、一方で誰も建築する予定がないために電気の引き込みは一切行われず、結局畑としての活用すらされないまま放棄分譲地として今日に至るまで放置されている。この倒錯した現状から透けて見えるのは、まさに北総における都市計画の無策の歴史そのものと言っていい。
こんな場当たり的な乱開発が横行し、さすがに当時は一部の自治体において、議会でその開発ぶりを疑問視されたこともあったらしいのだが、結局地域社会全体の大きな課題として共有される機会はついに訪れないままだった。つまりそれは、それだけ当地においては、土地というものが持つ希少性が、都市部と比べて希薄だということでもある。今だから言えることなのかもしれないが、今日の北総における更地市場の崩壊は、最初から必然の結末だったのである。
昨今は都心部の分譲マンション価格の高騰を始めとした不動産価格の上昇がしばしば話題になり、一部報道では「バブル超え」などといった表記も見られる。だが、それは、あくまで再開発によって生まれ変わった一部の都市における限定的な現象であろう。
これから先、どんなに都心のマンションが価格の上昇を続けようとも、こんな千葉の田舎の、言われなければ誰も気が付かないような、猫の額のようなミニ開発地にまで一攫千金を夢見る投機家が群がり、そしてその状況がさして疑問視もされなかったような、真の「バブル時代」は、もう二度と戻ってくることはない。
電気なし・上水道完備の放棄住宅地へのアクセス
横芝光町木戸
- 銚子連絡道路横芝光インターより車で約15分
コメント
昨日こちらを発見し、楽しく拝読しておりす。
父が20年くらい前、この辺の分譲地の仲介をやっていて、よく限界分譲地に遊び(仕事の同行)に来ていました。当時からあまり変わらぬ光景で…
コメントありがとうございます。お父様がお取り扱いされていたのですね! 風景は、おそらく開発当初からほとんど変わっていないのではと思います。きっとどの分譲地も、これから発展する土地ですよ、なんて言われて販売されていたと思いますが…
関電工さん、建柱工事 低圧電力 高圧線 NTT工事もしないのですね。