僕は長年、自他ともに認めるヘビースモーカーであった。比較的自己判断で喫煙の時間を取ることが可能な仕事に就く機会が多かったのもあり、1日40本以上に及んでいた習慣を改める意思もなく、20年間に渡って漫然と喫煙を続けていた。
タバコを止めたのは昨年の夏で、それは転職先が喫煙者の採用を断っていたからだけの理由であり、特に健康などに配慮して禁煙を決意したわけではない。結局、その転職先もごく短期間で退職することになり、今は禁煙をしなくてはならない理由もないのだが、タバコそのものが増税を繰り返して高額になっていることもあり、そのまま喫煙の習慣を戻すことなく今に至っている。
ところが、禁煙してから、それまで身長171cmで、体重は多くても53kg程度の、かなりの痩せ型であった僕の体重はみるみる増えていき、1年半後の今では67kgまで増加してしまった。実に14kgの増加である。僕の場合は元の体重が明らかに少なすぎであり、今のところはまだ「肥満」と呼べるほどの体型ではないかもしれないが、増え方としては異常である。
俗説として、タバコをやめると食べ物が美味しくなって太る、とはよく言われるが、僕自身は別段タバコを止めたからと言って食欲が増大したような自覚もなく、味覚が大きく変わったとも思えない。生活習慣もこれまで通りで、むしろ、禁煙後、運転職を離れた今の方が、仕事で体を動かす時間も多くなった気がする。なぜ急に太りだしたのかよくわからない。
そうは言っても肥満が進んでいるのは事実であり、所有していたズボンがことごとく履けなくなったり不都合も多いので、仕方なく、妻とも話し合って、それまでいっさい省みることもなかった食生活を改めることにした。
僕はお菓子やジュースは元々あまり口にしないので、改めるのは通常の食事であるが、ここで痛感させられたのは、カロリーなどを配慮して食事・食材を選ぶと、食費が嵩むということだ。
肥満が深刻な社会問題となっている米国では、食生活をジャンクフードに頼る貧困層の間で肥満が広がっていることはよく知られている。今は国際情勢に関する報道そのものが少なくなってしまったが、僕くらいの世代だと、貧困国や紛争国における飢餓の問題が盛んに報じられていた時代の記憶があり、貧困と聞くとついガリガリに痩せ細った体型を連想してしまうのだが、むしろ今は、肥満こそ貧困層の象徴のような認識に改められつつある(もちろん食糧事情の違いにもよるだろうが)。
日本の場合、そんな毎日のようにファーストフード店のハンバーガーやフライドチキンを食する人は少ないと思うが、よく見てみると、カップ麺などのジャンク食品は言うに及ばず、コンビニの食材や弁当、スーパーの惣菜コーナーでも、安価なものは揚げ物や天ぷら、肉料理ばかりで、カロリーに配慮すると、どうしても価格の割にボリュームが少ないものに限られてしまう。
これまで、僕は自分が痩せ型であることに甘んじて、ほとんど栄養価やカロリーに気を払うことなく、悪い意味で無為に、安上がりに食事を済ませてきたのだけど、その不摂生のツケを払わされる時期が、ちょうど禁煙のタイミングと重なったのであろうか。
日々の食事はもちろん、買い置きしてあった食材やインスタント食品も、あまりに高カロリーのものは控えざるを得ず、消費期限がまだ残っているものは、社協が実施しているフードバンクに持ち込む予定だが、しかしこれはこれで少し悩んでしまう。
例えば頂き物の食品がどうしても好みに合わない、というような理由ならともかく、自分が高カロリーで健康に良くないからと忌避した食品をフードバンクに寄付するのは、それは、僕よりもさらに経済的に困窮する世帯に、肥満と健康上のリスクを譲渡しているとも言えなくもない。
自宅に置いてあった高カロリーの食品は、ほとんどが安売りの加工食品である。別にフードバンクがその原因となっているわけでもないだろうが、安上がりな食生活を続ける貧困層に広がる肥満というのは、つまりはこういうことなのだろう。
もっとも、死んでしまっては健康もくそもないし、綺麗事だけ言って何もしないのも最悪なので、無駄に廃棄するくらいならフードバンクに寄付すべきだという思いは変わらないが、魚介類の一部など、天然の食材の中にも年々価格が高騰しているものも見受けられ始め、いつかは僕も、否が応でも高リスクな加工食材を口にせざるを得ない日が来るのだろうか。
コメント
もしかしたら、運転席での小刻みな振動とか無意識のうちに身体バランスをとったりすることが、カロリーを使っていた可能性もあるかも、と思いました。