僕が生まれた静岡市はほとんど降雪のない地域で、20年間暮らしたうち、雪が積もったのは2回だけ。その2回とも、寝ている間に雪が降り、朝起きたら積もっていたもので、僕は高校卒業後に関東に出てくるまで、空から雪が降ってくる光景を見たことがなかった。
そんな静岡も、今僕が暮らしている房総半島も、一般的には気候は温暖だと言われている。でも正直言って、ちょうど今のような冬季に、彼の地が温暖であるなどと感じられる機会はない。暖房がなければ普通に寒いし、特に千葉県は冬は風の強い日が多いのでより寒く感じる。
静岡にしても、冬はやはりストーブが必要なほどには冷え込むもので、いくら雪が降らないからと言って、学校の教室に一切の暖房器具が設置されていなかったのはやっぱりおかしな話だと思う。当時はそれが当たり前だと思っていたが。
ところで僕は28〜30歳頃までの間、長野県の大鹿村と飯田市で暮らしていたことがある。当然のことながら信州の寒さは静岡や千葉の比ではなく、冬季の夜間となれば氷点下15度近くまで下がるのが普通なのだが、では今よりも冬の寒さが格段に辛かったかと言われれば、もちろん寒いのは確かなのだが、それは静岡や千葉で感じる冬の寒さと大して変わらない。
要は、人間が感じる寒さの感覚などというものは相対的なもので、生物学的にヒトの居住が困難な地域や環境でもない限り、案外その場の気候に体が馴染んでしまうのだろう。
昔、2月の沖縄を旅行した僕の父が、暑くて半袖で歩いていたのに、現地の住民は寒いと言って上着を着込んでいた、という話をしていたが、それも同じことなのだと思う。
ただし人間の感覚は相対的であったとしても、それは暖房費という絶対的な金銭負担に支えられているものであることは言うまでもない。静岡や千葉で消費する暖房費で信州の冬を越そうと思えば、それは罰ゲーム以外の何物でもない。僕が信州での暮らしを継続できなかったのも、結局はこの暖房費の負担の高さだった。
昔の職場で、北海道出身の同僚が「雪なんか降っていいことなんかひとつもない。地域にプラスになることなんてなにもない」と断言していたが、確かにまあ、それは僕もそう思う。お金がかかるばかりで、雪かきはしんどいし、できればもうこの先はずっと「温暖な」地域で暮らしていきたい。
でも、1年間のある一時期はこういう時期がないと、生活にメリハリがつかないかもしれない。冬は寒くて辛いけど、でも、青く透き通った冬の空を見られなくなるのも、それはそれで味気ないものであるという気もする。
コメント
「人間の感覚は相対的であったとしても、それは暖房費という絶対的な金銭負担に支えられている」
至言だと思います。
>>テレメンテイコさん
コメントありがとうございます。信州の暮らしは、最終的には本当にただ燃料費を捻出するために働くだけの状況に陥っていました。今なら、もっとネットなどを駆使して色々と調べられたと思いますが、あの当時はスマホも持っておらず、自宅にネット回線もなかったので、結局行き詰まってしまいました。
雪国に住んでいると除雪作業や消雪パイプの整備など社会的なコストもすごくかかってるなぁとよく思います。もちろん除雪作業で成り立っている人々も多いのですが(冬場は工事ができなくなってしまうので土建屋さんなんかは特に)。住む身にとってはなくてはならないありがたいものですが”効率的”ではないなと思ってしまうところもあります。