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 (前回からの続き)

 続いては、前回の記事で紹介したテニスコート跡の東隣、既に深い雑木林と化した敷地の奥で、ひときわ巨体な廃墟となって異様な姿を晒している「ビラ軽井沢」なる施設の踏査を行うことにした。名称からして既に騙す気満々なこの「ビラ軽井沢」とは、かつて磯村建設が運営していた、不動産共有型の会員制宿泊施設の残骸である。

 不動産共有型の会員制宿泊施設というのは一言で言うと、昭和の時代の別荘地でよく見られた、施設内の各部屋の区分所有権を複数人で共有することによって、その共有持分の所有者が必要に応じて利用できる施設のことだ。
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 そう書いても、馴染みがないと一言では何のことかよく分からない方も多いであろうから(僕も最初はよく分からなかった)、この「ビラ軽井沢」を一例にして詳しく説明すると、このビラ軽井沢には、合計で22室の居室が設けられており、各部屋はそれぞれ、分譲マンションのような区分所有の形態で分譲されている。

 しかし、不動産共有型の宿泊施設が一般の分譲マンションと大きく異なるのは、それぞれの部屋の区分所有権は単一の所有者によって保有されているのではなく、ビラ軽井沢に関して言えば、多くて1室当たり12人の共有持分者が存在する。つまり1室の区分所有権を、12人の客に持分を分割して販売されていたという事だ。

 そんな細切れの持分を購入して一体どうするのかと言えば、要はこの購入者達は、事実上、部屋の所有権ではなく、「利用権」を購入しているのである。会員である共有持分者は、例えばレジャーや家族旅行でその部屋の利用を希望する場合、施設の運営会社に予約を入れることによって、その部屋を利用する権利を有することができるということだ。一般の宿泊施設のように不特定多数の宿泊客を受け入れているわけではないので、原則的には持ち分所有者は独占的にその部屋の利用権を行使できる。
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ビラ軽井沢。現在は紛れもない廃墟と化している。

 しかし、持分所有者(会員)であろうと利用のたびにいくらかの利用料の支払いは必要になるし、それとは別に、区分所有者は施設の年間管理費を負担している。「ビラ軽井沢」については既に運営会社が破綻しているので管理費の徴収は行われていないが、例えば今日でも同様の会員型宿泊施設を運営している「紀州鉄道コンポーネントオーナーズシステム」の年間管理費は税込みで77000円。僕のような貧乏人には、管理費の元を取るための強迫観念に襲われそうな価額だ。

 せっかく区分所有権の持分を購入したのに、結局その後も絶えることのない費用負担を要するくらいなら、最初から他の施設でいいや、と考えてしまいたくもなるが、情報提供者の知人の方が言うには、当時はこの会員権が一種の投機商品やステータスシンボルとして機能していたのではないか、とのことである。

 確かに少し考えれば、いくら会員限定の施設とは言っても、その予約は一般の宿泊施設同様、ハイシーズンの連休時に集中してしまうのは容易に想像がつくものであり、今よりも宿泊施設が不足していた当時の事情を鑑みても実用面で大きなメリットがあるものとは思えないのだが、決して安くないリゾート施設の利用権を有しているとなれば、なるほどそれは確かに一つの貫禄として機能していたのだろう。その場合は、むしろ利用者の負担額は高額なくらいの方が都合が良かったのかもしれない。しかし、今日の感覚で考えれば、これはあまりに費用対効果の悪い商品であると言わざるを得ない。昭和の時代に建てられた多くの会員型宿泊施設が老朽化し、設備も陳腐化した今となっては尚更である。
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 だが、このビラ軽井沢が抱える問題の本質はもちろんそんなところにあるのではない。このような会員制宿泊施設というビジネスモデルは、特にビラ軽井沢に限ったものではなく、当時の別荘地では一般的に見られるものであったようだが、一般の分譲マンションのように、住民が主体となった管理組合が形成されているわけではなく、あくまで施設の運営会社の手によって維持・管理されている業態なので、ひとたび運営会社が破綻してしまうと、区分所有者各個人の独力ではなす術もなく施設は放置されてしまう。そして実際、ビラ軽井沢の運営会社が不在となり、施設が放置され続けたなれの果てが、ここまで紹介してきた画像にある通りの無残な姿なのだ。

 会員と言ってもその居住地は多岐にわたり、おそらくほとんどの場合は、会員同士ではお互いの面識もないであろう。互いに連絡手段もない、100人以上にも及ぶ共有持分者の合意を、運営会社が破綻したその日からいきなり取り纏めろと言われても、そんなものは土台無理な話である。そして何より最大の問題は、一般的な会員制の商業施設とは異なり、これら不動産共有型の会員施設は、その会員権の価値を担保するものとして、施設の区分所有権が登記されてしまっているという点だ。
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「ビラ軽井沢」102号室の登記簿。わずか23㎡に過ぎない居室の、12分の1の共有持分を所有する区分所有者の氏名が列記されている。移転元の旧所有者は、磯村建設の関連企業である三宝工務店の名義になっている。

 改めて述べるまでもなく、かつてはその資産性を担保するものであったであろうその区分所有権の登記が、今となっては所有者に重くのしかかる、一種の腫瘍と化していることは想像に難くない。どんなに施設が朽ち果て、もはや宿泊施設としての利用など到底望めないほど荒廃が進もうとも、登記された所有権は消滅することもなければ、その所有権の放棄も認められないからだ。(注;共有持分は放棄できるとのご指摘をいただきましたので追記します。ただしこの物件は、居室によっては単独の所有者名義で登記されている区分もあります)

 単一の所有権であるならまだしも、朽ち果てた巨大な鉄骨造りの廃墟の区分所有権の、そのさらに12分の1の共有持分など、もはや「所有権」などと呼ぶに値せず、単に廃墟の登記簿に名を連ねているだけに過ぎない。売却など夢のまた夢。どんなに朽ち果てようとも、建物を修繕したり解体して滅失するためには、誰かが陣頭に立って100人以上に及ぶ区分所有者の8割以上の合意を形成せねばならず、しかも一般のマンションのような修繕積立金の類も一切蓄えられていない。これははっきり言って限界分譲地などとは比較にならない、キング・オブ・ジョーカーの名に相応しい最悪の負動産であると言わざるを得ないものだ。
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 しかも追い打ちをかけるように、複数の区分所有者は、その共有持分を購入する際に磯村住宅販売から融資を受けていたらしく、磯村住宅販売を債権者とした抵当権が今なお多数残されたままになっている。もちろん磯村住宅販売は、親会社の磯村建設の破綻とともに消滅しており、ただでさえ、もはや市場価値が完全に息絶えた死骸の如きこの区分所有権の共有持分に、今となってはどうにもならない、まさに亡霊の如き磯村の抵当権が大量に取り憑いたまま遺されているのだ。こうなるともはやこの建物は、いったいどこから手を付ければ解決の道を辿れるのかもわからない。
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「ビラ軽井沢」110号室の共有持分に設定された抵当権の一覧。順位番号9番までの抵当権の債権者はすべて磯村住宅販売株式会社である。

 「ビラ軽井沢」の登記簿謄本は、知人の方がその全貌を掴むため土地と建物の全22室分を取得しており、資料として今回提供していただいたが、その登記簿に記載された建物の共有持分者の数は、ざっと数えて121人(複数の共有持分を所有していたり、12分の1の共有持分を、更に親族同士で共有しているケースもあるので単純に室数の倍数とはならない)。内訳をみると、1階部分の居室はほぼ完売している模様で、その多くは首都圏各地に住む個人名だが、中には嬬恋村内の地元企業(と言うより商店)が所有者となっている持分もある。

 ところが1階の一部の居室と、2階部分の居室の大部分の持分は、最初の所有権移転登記が、平成2年の、磯村建設の債務整理時の際に行われた、エイワンサービス(エイ社)への売買になっている。つまりこれは、2階部分の大部分は、結局磯村建設の破産時まで買い手がつかず、最後まで売れ残っていたことを意味する。磯村が破産宣告を受けた1985年9月19日の時点では、まだまだ地価は右肩上がりどころか、その3日後にプラザ合意が発表され(1985年9月22日)、まさにいよいよ日本が地価狂乱のステージに差し掛かろうとしたバブル前夜の時代であるが、その当時の感覚を以てしてもあまり魅力のある商品として映らなかった、ということなのだろうか。
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 エイ社の共有持分の大半は、既に述べた通りエイ社の破産時に競売に掛けられたが、一部抵当権が設定されていなかった持分もあり、その持分所有権については今もエイ社の名義のまま放置されている。ところで奇妙なことに、平成28年(2016年)に行われたこのエイ社の所有物件の競売については、エイ社が保有していた100以上に及ぶすべての持分を、山形市に本社を置く「R合同会社」(仮称・以下R社)なる会社が落札している。

 2021年の時点で、既にビラ軽井沢の区分所有権のおよそ5割ほどはこのR社が所有権を保有していることになり、理論上ではあと3割分の所有権を取得できれば、他の区分所有者の合意を取ることなく建物を建て替え出来ることになるのだが、R社は本気でそんなことを目指しているのだろうか。少なくともエイ社の名義の所有権が残されている限り100%の所有権移転は現時点では不可能であり、いくらで落札したのか知らないが、どうしてこんなどうしようもない負動産の所有権を自ら進んで取得したのか、その意図がまったく分からない。
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「ビラ軽井沢」の土地登記簿に記載された、エイ社より山形市のR社への競売による売却の登記。土地に関してR社は、288分の142の持分を保有しているが、目的は不明である。

 R社に関してはネットで検索してもごく基本的な法人情報以上の情報がヒットせず、実に奇妙な話なので今回、このR社の法人登記簿を取得してみたところ、2009年に、たった90万円の資本金で設立された不動産会社であることが判明した。しかし、R社の所在地や、R社の代表者の住所(なぜか山形県から遠く離れた関東の某市である)をグーグルマップで調べてみても、いずれもまともに使用されているのかどうかも判然としない老朽化した建物が出てくるだけで、社名を明示した看板もなく、どの角度から見ても奇妙なことしかない。だが、当記事の執筆時点でまだR社の法人登記は有効であるようなので、ここではその代表者の住所として示された建物のストリートビューの画像を紹介するだけに留め、それ以上の憶測を重ねることは控えたい。
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R社の代表者の住所として登記されている関東某所の古びたテナント。Googleストリートビューより転載。

 なお、この建物は昭和53年(1978年)築であり、1983年の区分所有法の大改正前の建物であるため、今日の分譲マンションのように、区分所有者に土地の専有権が与えられるものではなく、建物とは別に、土地もまた、区分所有者全員分の共有持分が設定されている(288分割)。そしてもちろん、その土地の持分の至る所にも磯村の抵当権が残されている。もはや権利関係がグチャグチャに入り乱れてしまっており、この「ビラ軽井沢」の土地と建物だけで、登記簿謄本の枚数は121枚にも及ぶ膨大なものとなっている。築年の古いマンションは皆同様の状況だとは思うが、もはや資産性は地に堕ち、誰からも顧みられなくなった今もなお、膨張した登記情報だけは是正されることもなく放置されているというのは何とも絶望的なものである。
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288分割された「ビラ軽井沢」の敷地の土地登記簿。共有持分の所有者の氏名が延々と列記されている。

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 さて、実は嬬恋村周辺には、このビラ軽井沢の他にも、同じく老朽化して今は使われなくなった不動産共有型の会員制宿泊施設の残骸が点在している。そのすべてが、ビラ軽井沢同様に共有持分の登記が行われており、そして同じようにその所有権もろとも完全に放置されている。ビラ軽井沢とは異なり、それらの施設の運営会社(紀州鉄道)はまだ現存しており、今でも近隣で別の宿泊施設などを経営しているにもかかわらず、かつて分譲した会員制施設の現状など一切顧みることなくまったく知らん顔である。ただ、今となっては使い物にならない、実体のない「区分所有権」の持分の所有者だけが、その後始末の出口すら見つけることも出来ず漂流しているだけだ。「所有権」という概念ばかりが独り歩きした昭和の会員制施設の後始末は、いったいこの先、誰が行うのであろうか。

(次回へ続く)
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追記:
 少し調べてみると、不動産登記の共有持分は所定の手続きを経て放棄できるとのことなのだが(共有持分放棄)、当該物件のように、既に債権者が消滅している抵当権が残された共有持分が、通常の手続きで持分放棄できるのか、そこが不勉強な僕には今のところよく分からない。登記簿を見る限りでは、当該物件においては持分放棄した旧所有者はいない模様だが、それもやはり、そんな費用を掛けるほどの物件ではないという事かもしれない。共有持分放棄どころか、大半の所有者は住居表示の実施に伴う住所変更の登記すら行っていないのが実情である。