横芝光町母子 欲望が渦巻いた水田地帯の放棄分譲地

放棄住宅地

 北総に限らず現代の郊外や地方部では、旧来の市街地が商業地としての求心力を失う一方、幹線道路沿いなどに残されていた、元々水田などの農地だったところに大型の商業施設が進出し、その周辺に新たな市街地や住宅地が形成される光景がごく一般的なものになってきた。その現象については、鉄道を始めとした公共交通機関の衰退と合わせ、これまでにも数限りなくその是非が論じられてきたが、それはさておき、こうした旧来の「農地」を商業地や住宅地として利用する場合、通常は農地転用という手続きを行う必要がある。

 地目が「田」あるいは「畑」の場合、そのままでは建造物の建築は許可されないので、農業委員会の許可を得て地目変更を行うわけであるが、もちろんどんな農地でも無条件で転用が認められるものではない。ここではその詳細については割愛するが、農地の無秩序な転用を防止するため、基本的には、駅や住宅地、商業地などの市街地の近隣に残されているような、今後も生産性の向上が見込めないような小規模な農地でなければ、なかなか農地転用は認められないのが一般的である。特に九十九里平野で見られるような、地平線近くまで水田や畑が広がる、生産性の高い大規模な農地はほとんどが「農業振興地域」に指定されており、まず農地転用の許可が下りることはない。

 ところが僕の住む横芝光町の母子(ははこ)という地区に、周囲は農業振興地域に指定された水田でありながら、その中にぽっかりと、陸の孤島のように残されている小さな放棄分譲地がある。分譲地の地目は「原野」であり、記録を見る限り、1964年(昭和39年)に「田」から「原野」に地目変更されているので、分譲地の開発に合わせて農地転用を行ったものではないのだが、周囲は多少休耕田が目につく程度の、今なお現役の水田地帯である。分譲地内の私道はアスファルトで舗装されているものの、そこに至るまでの道は今も未舗装のあぜ道で、降雨後はひどくぬかるみ、2WD車ではとても進入する気にはなれないような悪路である。

母子の水田地帯に残る放棄分譲地への道。単なる未舗装のあぜ道である。

 

水田の中に開発された謎の分譲地。周囲は農業振興地域に指定された農地で、開発行為は一切認められていない。

分譲地内の私道は舗装されているが、私道を含め既に全体が荒廃を極めている。

 分譲地の入口付近にまでは電線が延ばされており、前回の「横芝光町木戸 電気なし・上水道完備の放棄住宅地」の記事で紹介した分譲地とは異なり、電気の引き込みのハードルは若干低そうだが、分譲地の周囲にも建物らしきものは何もなく、何のために設置された電柱なのか分からない。分譲地の入り口にはブロックを積み上げた構造物があるが、これはゴミ集積場のつもりなのだろうか。

建物がないのに、なぜか分譲地の入口付近まで電柱が設置されている。

ゴミ集積場のつもりと思われるブロック造りの構造物。

 この分譲地は1989年に販売されていたもので、登記簿の記録を見ると、その分譲に関わった開発業者は、僕が今暮らしている限界分譲地の開発業者と同じ会社であった。「所有者不明土地特別措置法」の記事でも触れているが、この開発業者「株式会社エス・ブイ・シー」(豊島区東池袋・2015年解散)は、80年代末のバブル期に、旧光町周辺で盛んに投機型分譲地の開発を行っていた開発業者のひとつである。

 僕の暮らす分譲地は、小規模ながらゴミ集積場や公園も設置されていたので、投機型とは言えまあまあ堅実に宅地開発をしていた会社なのかなと、僕は無邪気にも思い込んでいたのだが、今回、この分譲地が同一の会社の手によるものであったという事実を目にして、その認識を改めなくてはならないようである。ここはどう考えてもまともに宅地として利用できるような立地ではなく、誠実な業者が行う開発行為とはとても言えないものだ。

 開発時は既に原野に地目変更はされていたとはいえ、元々はここも周囲と一体の水田であり、水田であったという事は、つまり水はけの悪い湿地である。そんな土地を、ちょっと埋め立ててアスファルトで舗装したところで地盤が改良されるはずもない。分譲地の周囲は沼地と化し、擁壁は歪み、一目見ただけで造成地が沈下しているのが分かる。一応分譲地には、形ばかりの側溝も設置されているが、それも中途半端なところで途切れて、結局周囲に垂れ流しの状態で、まともな排水路として機能する代物ではない。

分譲地の周囲は沼地と化しており、目視でも地盤沈下を起こしているのがはっきりと確認できる。

排水溝は途中で途切れており、排水路として機能するものではない。

 分譲地は全12区画の小規模なもので、ほとんどの区画は私道もろとも荒れ果てているが、1区画だけ、大網白里市の草刈り兼不動産業者「大里綜合管理」が管理を続けている売地があり、ご丁寧に「売地」の看板も立てられている。しかし、放棄分譲地の売地を見るたびにいつも気になるのだが、こんな看板を立てたところで、果たして関係者と僕以外の目に触れる機会などあるのだろうか。

 ちなみに価格は42坪で70万円。高すぎると言うほどの価格でもないが、ここは国道126号線に近接しているため車両の走行音が絶えず聞こえ、こんな絶海の孤島のような立地でありながらはっきり言って騒々しいので、ここに至るまでの道の路盤が悪すぎるという事もあり、たとえ安価でも魅力を感じる物件ではない。

分譲地の奥にある唯一の売地。大里綜合管理が取り扱っている。

大里綜合管理のホームページに今も掲載されている同物件の広告。

 しかし驚くべきことに、前回紹介した放棄住宅地同様、ここにも私道上に消火栓のハンドホールの蓋があり、上水道が引き込まれている。前掲の売地広告にもその点は明記されており、更に驚嘆させられるのが、この私道も建築基準法上の道路として認定されていて、住宅の建築が可能であるという事だ。基礎工事のためにコンクリートミキサー車で乗り入れようものなら、ぬかるみでタイヤがスタックしそうなあぜ道を通らなければたどり着けないこの分譲地で、いったい誰が住宅建築を行うというのだろう。

 道路の認定は市町村ではなく県(土木事務所)の管轄であり、旧光町が都市計画区域に指定された際にも、現地の事情を考慮することなく地図上で機械的に認定したのかもしれないが、ここは地図を見ただけでも水田の中に位置することは一目瞭然であり、どうしてこんなところを建築基準法上の道路として認定したのか、その判断基準がまったく分からない。町内には、ここなどよりもずっと住宅建築に適しているのに、道路認定されておらず建築が出来ない放棄分譲地は他にいくらでもある。

消火栓のハンドホール。

こんな道に、コンクリートミキサー車で進入して基礎工事を行うとでもいうのだろうか。

 一体こんな分譲地を購入したのはどんな方なのか。そこで今回僕は、この分譲地の私道の登記事項証明書を取得し、その共有持分者の情報を確認してみることにした。各区画の登記簿を取得しても、単一の区画所有者の情報しか確認することができないが、仮に私道が共有されていた場合、私道一筆の登記簿だけ取れば、直ちに区画所有者全員の情報が判明するという、誰も使い道のない限界分譲地調査のライフハックである。この分譲地の私道には、合計で12区画分の持分共有者(その各持分にも、さらに共有者がいるので人数はこれより多い)が登記されていた。

 それを見ると、持分共有者のほとんどは、(のちに転居している方も多いが)取得時点は東京と神奈川県の在住者であった。それ自体は他の限界分譲地と同様で特に変わったところもないが、見ていて気が遠くなるのは、各持分共有者の購入時に設定された抵当権の内容である。その抵当権の債権額は、人によって準備した頭金の額が異なるので違いがあるが、少ないものでも1000万円、最も高額なものでは1560万円という恐ろしい額で、おそらく1区画につき約1500万円で分譲されていたであろうことが推察されるものだ。

私道部分の登記事項証明書の権利部(乙区)の記載事項の一部。最も高いもので、債権額1560万円の抵当権が設定されている。

 1989年はまさに地価がピークに達していた地価狂乱の時代真っ只中であり、こんな田んぼに囲まれたどうしようもない地面の端切れが、坪35万円という地獄のような高値で完売していたのである。なお前述のように、現在においては、その約20分の1の価格である70万円の売値でも、誰も買う事もなく放置されている状態が続いている。

 ちなみに12の持分のうち、4つの持分は差押えが行われた記録がある。ひとつが平成11年(1999年)に競売に掛けられて所有者が変わっているほかは、3つの持分はその後は取り消しされているものの、区画所有者の4人に1人はローンの返済が困難になっていたことになる。こんな、自宅でもなければ、何らの収益も生み出すこともない、生産性0の分譲地のために1000万円以上の返済を強いられるとなれば、それは相当に家計を圧迫するものであったのだろう。これは火の玉ストレートになるかもしれないが、こんなどうしようもない分譲地に大金を注ぎ込んでしまうような先見性のなさが招いた必然の結果、という事になるのだろうか。

 この分譲地の周囲は、おそらく江戸の昔から今に至るまで変わることのない稲作地帯である。母子は旧光町の市街地からは比較的近距離に位置する農村集落であるが、高度成長期の時代も、バブル景気の地価狂乱の時代も、変わることなく静かに耕作が続けられてきたはずだ。

 しかしその一方で、この狭くて小さな分譲地の中だけ、きわめて局地的に投機熱が渦巻き、およそ立地とは不釣り合いな馬鹿げた額の札束が飛び交った挙句、最終的には旗振り役の開発業者もろともその欲望も無残に砕け散り、今はただの荒れ地となって放棄されている。バブル時代は、確かに経済が低迷する現在よりは色々な面で金回りも良く生活面でも余裕があったのかもしれないが、その好景気は、こんな不毛な茶番劇をも内包して、それで初めて成り立つものであったという事なのかもしれない。

 

欲望が渦巻いた水田地帯の放棄分譲地へのアクセス

横芝光町母子

・銚子連絡道路横芝光インターより車で約5分

コメント

  1. リフォーム屋 より:

    光町シリーズ
    面白いですね!
    坪35万…
    恐ろしい時代でしたね(-_-;)
    いつも更新 首を長くして待ってます。陰ながら活動応援しております。

    • 吉川祐介 吉川祐介 より:

      リフォーム屋さんコメントありがとうございます!

      しばらく番外編みたいな更新ばかりになっていましたが、ここ最近少し時間が取れるようになったので、気を取り直して自宅の近所から探索を再開しました。光町に特に多い放棄分譲地シリーズとして少しずつ増やしていきたいです。今後ともよろしくお願いします!

  2. しゅうぞう より:

    42坪で70万円、もう少し安ければ今流行りのマイキャンプ場として使えそう。
    電気も水道も使えるのなら東京東部や千葉西部、埼玉県南東部あたりの都市住民には魅力がありそうなものだけど…
    トイレは簡易水洗だろうけどログハウスでも建てれば快適そう。
    周囲の湿地もザリガニ釣りを楽しむとプラスに捉えれば魅力の一つかと。

  3. 静岡東部 より:

    とても面白く拝読しています。私の現住まいの静岡県東部でも、新分譲地が出来る⇒30~40代のファミリーが住む⇒子供たちが成長し、東京や大都市に大学進学或いは就職で出ていく⇒人口減⇒店がつぶれ、バスの本数が減る⇒やがて老人ばかりになり空き家が増える⇒地価の下落⇒資産価値がないため、売買が出来ず荒れ果てる⇒極近所の山や農地が新たに分譲地になる、を繰り返しています。私の近隣も売地や空き家が目立ち始め、かってあった商店街は全て月極駐車場などに変わってしまい、車の運転の出来ない人たちは街中に移住し始めています。ヨーロッパのような車が無くても徒歩圏内で全て済ませれる都市国家になるべく、宅地造成を緩和せずに、今ある土地を有効活用せざるを得ない規制を設けるべきと痛感しています。

  4. おじさん より:

    いつもよく稀に、興味深く閲覧しています

    本分譲地について浅く考察してみました
    ①農業振興地域から除外されている点
    ・地目変更が1964年、「農業振興地域の整備に関する法律」制定は1969年
    ・以前より開発の意図があったかどうか、もしくは農振地域への指定を逃れるために農振法成立前に地目を「原野」としたのかという点は不明。
    ・もしくは実際に耕作していなかったとも考えられる→これは後述します。
    ・建物建築や資材置き場等にも供されていなかったために、「原野」とした。
    ②建築基準法上、42条1項3号道路。
    ・地番318-1の事かと思われますが、これはおそらく間違いでしょう。
    ・1項3号はいわゆる「既存道路」ですが、これは「建築基準法施行時の昭和25年11月23日に既に幅員4m以上あった道路」ですので、本件のような公図上整った分譲地ではありえないと考えます。
    ・1953年の空中写真でもこのような分譲地状の道路はありませんね。
    ・https://mapps.gsi.go.jp/contentsImageDisplay.do?specificationId=1802589&isDetail=true
    ・するとこれは単純に不動産仲介業者のミスで実際はおそらく「42条1項5号道路(位置指定道路)でしょう。そして、この位置指定道路が接する畦道は「42条2項道路」と考えます。
    ・ただ、上記の空中写真にて家の立ち並びが見受けられないので2項道路としていいのかは若干疑問が残ります。

    ③農地転用の時期について
    ・空中写真を見ていて気がついたのは、当該分譲地部分については結構以前から耕作されていないのではという点。理由としては植生の様子が周囲と違うため。
    ・空中写真を年代で追っていくとおそらく、1950年代終盤か60年代初頭に耕地整理が成されているようで、耕地整理直後は耕作されていた様ですが、地目変更がなされた1964年には既に耕作を止めていたと考えられます。
    ・その後、長年使用していなかった土地を売却し分譲されたのでしょう。

    ④勝手な想像
    ・こういった活用されていない土地が売却される時期として多いのが「相続」のタイミングです。
    ・時期的にも耕地整理から30年程度経ったところで丁度代替わりの時期でもあり、相続税の支払いにあてるためか、もしくは遺産分割に伴う現金化かはわかりませんが、バブル経済の開発ラッシュも相まって、不動産業者を介して売却されたのでしょう。

    乱筆失礼致しました

    • 吉川祐介 吉川祐介 より:

      コメントありがとうございます。

      農地転用の背景などは、おそらく仰る通りであると思います。ただ一点、建築基準法1項3号道路についての件なのですが、この分譲地が開発された当時、旧匝瑳郡光町は都市計画区域外で接道義務がなく、道路は全て未判定の状態でした。この時代に開発された千葉県北東部の限界分譲地を抱える自治体は、その大半が都市計画区域外でしたので、道路の判定が行われたのは区域指定後になります。この場合、区域指定前より存在していた幅員4m以上の道路は1項3号の扱いとなるようなので、当分譲地以外でも、このエリアの古い限界分譲地の私道の多くは1項3号です。

  5. 通りすがり より:

    農振の農用地区域というのは「農用地等として利用すべき土地の区域」のことですから、農用地に指定されるのは別に農地に限ってるわけではなくて原野や山林、場合によっては宅地なども指定されますので、農用地に指定されるのを逃れるために転用したとは考えにくいです。
    この地域の話ではありませんが、どうも一時期「農地転用のために農業委員になる」ということがあったようで、私の住むところでも国営で開発された農地が転用されて原野になっていて、農業委員会の記録を見ても転用の記録がないのに登記が変わっていた、ということがあったと役所勤めの友人が話していました。
    で、そういう土地をめざとく見つけてくるのが太陽光事業者で、原野になっていても農振農用地だったので除外はできないと回答したところ、ヤのつく人まがいのような人物がやって来て「現況も登記も原野なのになんで農振農用地から外せないんじゃゴラァ」と大騒ぎしたそうで…。

  6. タヌ より:

    YOUTUBEをみてこちらに来ました。建設中の銚子連絡道路で入り口の道路が分断されると受け取れる個所があったので、総武本線の東側かと思ったのですが、西側だったのですね。「放棄分譲地」であることは間違いありませんが、水道もあるようですし、吉川さんがYoutubeで取り上げておられるほかの分譲地に比べるとかなり良い物件のように思います。

  7. 蒸発散装置は役に立たないよ より:

    YouTubeいつも楽しく拝見しております。山武市出身ですが大学進学時に離れており、地元のその後という意味でも懐かしく拝読しております。こちらの分譲地は父が開発に携わっており当時の開発経緯を改めてヒアリングしたところS.V.Cがいくらでも仕入れること、モノがないのにとにかく何でもいいから供給してほしいとのことだったようです。そういえばバブリーな見た目の社員さんが多かったなという印象です。。かくいう小生も越後湯沢の戦後処理?を中堅社員の頃に担当したことがあり同じことを繰り返しているなと苦笑しております。

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