転機

旧サブブログ: 海辺の限界分譲地

 以前の記事でも少し触れたが、僕は、自著の書評をいち早く毎日新聞紙上に掲載していただいた放送大学の松原隆一郎先生と対談を行っている。(参考記事

 その対談の模様は、松原先生の「丁稚」を名乗る方(匿名希望)によって録音してあり、この度、その丁稚の方が設立したブログ上にて対談記事が公開される運びとなった。当日はあいにくの土砂降りであったが、とても楽しくお話しさせていただき、その記録がこうして活字の形で残るのはとてもうれしい。ただ、対談はなかなかの長丁場であったので数回に分けての掲載となるそうだ。今日の時点ではまだすべては公開されていないので、公開され次第、随時リンクを追記していきたい。

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「『限界ニュータウン』著者・吉川祐介さん、いらっしゃい」(書評者と著者と読者の本屋「松原商會」 @PASSAGE by ALL REVIEWのBlog

【1回目】https://matsubaraandco.hatenablog.com/entry/2023/08/23/183458

【2回目】https://matsubaraandco.hatenablog.com/entry/2023/08/24/012023

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 そして、この松原先生との対談をきっかけとして、「現代新書」のサイトに、随筆的な記事を1本寄稿させていただける機会に恵まれた。エッセイなんて言うと大げさだが、僕はこれまで自分のブログで日記的に書き散らすことはあっても、個人的な思いを商業媒体で発表する機会がなく、ルポルタージュしか書いてこなかった。しかしそれだと、どうしても分譲地の欠点や問題点ばかりクローズアップする記事になりがちで、一方で僕がなぜ限界分譲地に居を構えたのか、その理由を語れる機会がなかなかな訪れない。

 今回の現代新書のコラムでは、題材をこちらからリクエストさせていただいたので、それではほかに書く機会もなければ、おそらく依頼が来ることもないであろう随筆を一本書かせていただっことになった。こちらも併せてお読みいただければ幸いである。

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「限界ニュータウン」を発信するということ(現代新書

【前編】

【後編】

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 以前の記事でも述べたが、松原先生による書評は、発売日から2週間後に発表されたものである。手前味噌になるが、書評というものは本の発売後2~3カ月後に公開されるのが普通で(僕の本も、ほかの書評はみなそうだった)、松原先生の書評は異例の早さであったらしい。もともと松原先生は僕の記事やYouTube動画もご覧いただいていて、それで本の発売後すぐに書評をお書きいただいたのだが、結果としてこの書評が、僕の仕事の方向性を位置付けたひとつの転機であったと言ってよいかもしれない。

 本の発売日を迎えた時点で、僕はすでにそれまで働いていたアルバイトのシフトは大幅に削り、YouTubeとブログ、寄稿記事の収入で生計を立てるようになっていた。それは、その生活を目指していたというよりは、いつの間にか仕事の量が増えてバイトを縮小せざるを得なかったと言った方が正しいが、コンビニのバイトを優先する理由もなかったので、仕事の量に応じてどんどんシフトチェンジしていたものである。

 しかし、僕はその自分の稼業について、それまで故郷の両親に話したことがなかった。兄と姉は僕がYouTubeをやっていることは最初から知っていたのだが、その二人とも親には僕の稼業を伝えておらず、両親は本の発売時点でもまだ、僕がバス会社に勤務していると思っていたようだった。

 別に悪いことをしているわけではないのだから正直に言えばよかったのかもしれないが、これまで僕は、両親が納得するような生き方を一切してこなかったし、高齢の両親はテレビ世代でネットには疎く、僕がYouTubeで生計を立ててるなんて言おうものなら、それこそテレビで大きく話題になったであろう、へずまりゅうみたいな迷惑行為で収益を得ていると誤解されかねない。昔から何か一芸に秀でているというのならともかく、少なくとも両親から見た僕には、映像メディアで身を立てられそうな素養など何もなかったはずである。

 迷惑系とまでいかなくとも、YouTubeの収益というものは不安定かつ、先行き何の保証もないことは事実であり、そんな仕事で生計を立てているとなれば、せっかく結婚して落ち着いたと思っていたところに、また更に余計な心配の種を蒔きかねない。そのため、当初は本が発売されても、両親にはその事実は伏せておこうと考えていた。

 しかし、すでにとっくに退職したバス会社に勤務し続けているという嘘をつき続けるのにも無理がある。そんな折、松原先生の書評が公開されたということで、これであれば打ち明けても、そんなむやみに不安を煽り立てることもないだろうということで、姉が実家に帰省した際、僕の本と書評の掲載紙を持って、事の顛末を打ち明けることになった。その時の両親の仰天ぶりはすさまじいものがあったと聞いている。

 無理もない。僕はそれまで、子供の頃から漫画家になりたいというような話は親に何度もしていたが、文筆家になりたいなどという話は一度もしていなかったし、僕自身も考えたこともなかった。文筆家どころか、僕は事務所で机に向かう仕事にすら縁がなく、基本的に現場労働の世界でずっと生きていたし、これからもずっとそのつもりだった。それがいきなり本を出して、YouTubeで動画を作っていると聞かされれば、一体いつどこで何があってそんなことになったのかと、驚かない方がどうかしている。

 しかし、そこはやはり書評の力は大きなもので、結果として両親も非常に喜んでくれたそうだ。冥途の土産なんて言ってはあれだが、ようやくこの歳になって、僕は親に人生の方向性というようなものを示すことができたという気がする。何の仕事についても長続きしなければ、住む場所すらも定まらないまま散々心配をかけ続けて、今更親孝行をしようなどと考えても、たぶん過去の分の埋め合わせが間に合わないまま2人とも天国へ行ってしまうと思うが、この稼業であれば、ドラ息子の所業のせいで地獄に堕ちることはないだろう、と信じたい。

 

 

 

 

コメント

  1. なみすけ より:

    ブログ、YouTubeの更新をいつも楽しみにしております。
    吉川さんの文章、動画とも圧巻の取材力、文章構成力で楽しく拝見させていただいております。
    親御さまにとっても吉川さんは誇りだと思います。

    ご多忙と存じますが、どうか無理はなさらないでください。
    これからも陰ながら応援しております。

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