このブログをお読みいただいている読者の方は、おそらく「磯村建設」という開発業者の社名を、一度は耳にしたことがある方も多いと思う。僕自身も、これまで磯村建設については、名前こそ知っていたものの深く掘り下げる機会はなかったので、あるいは僕などよりもよほど詳しい方も多いかもしれない。
磯村建設は70年代半ばから首都圏郊外などで建売住宅やマンションの分譲販売を手掛けていたデベロッパーであり、同社については既に多くの情報がインターネット上で広く共有されている。地価狂乱のバブル期を迎えることなく早々と破綻してしまった、後世に名を残すほどの経営規模でもなかったはずのこの古いデベロッパーが、今日の時代においてもなおもその名がネット上で広く知られる最大の要因は、何と言っても同社が出稿していた複数の建売分譲地のテレビコマーシャルが、今なおYouTube上で公開されていることにあるだろう。
YouTubeで今も公開されている、あまりにも有名な「磯村建設」のテレビコマーシャル。
現在公開されているコマーシャルは、そのすべてが、埼玉県寄居町、東武東上線の鉢形駅や男衾駅周辺に開発されたミニ分譲地のものだが、それでなくても70年代末頃の郊外の分譲住宅地のテレビコマーシャル自体珍しいものであるうえに、オブラートに包むことなく堂々と「池袋駅から90分」と書いてしまうその通勤不便な立地や、「めじろ台」「ひばりヶおか」などといった有名郊外住宅地のものをストレートにパクった団地名が、当時の住宅販売事情を象徴する滑稽なものとして、長くネット上で語られてきた。
実際のところは、このような都心から遠い住宅地を購入した人の皆が皆すべて都心まで長時間通勤をしていたというわけでもなく、無理なく通勤できる範囲の近隣地域に職場を持つ人が購入していたケースも多いと思われるのだが、それはさておき磯村建設は、この寄居町の建売分譲よりも前の時代、1975年頃より、群馬県嬬恋村、浅間山麓上にある、噴火時の溶岩で形成された奇勝地「鬼押出し園」からほど近いところに、「サンハイツ白樺の里」(以下「白樺の里」)という別荘地を開発・分譲している。コマーシャルのキャッチコピーに「明るい住まいサンハイツ」にもある通り、どうやら磯村建設の分譲住宅は「サンハイツ」という商品名で打ち出されていた模様である。

鬼押出し園のすぐ脇にある「サンハイツ白樺の里」の入口。
白樺の里は、すぐ近くに鬼押出し園があることからもわかるように、浅間山麓上に広大に開発されている一団の別荘群の中でもっとも標高が高く、そして浅間山の火口からもっとも近くて、次回の噴火時には真っ先に灼熱の溶岩に呑み込まれる立地にある。周辺には西武グループや三井不動産、三菱グループの関連会社などによる高級別荘地が複数存在しており、それら有名企業の別荘地は今でも現役の別荘地として適切な管理や利用が行われているが、その一方で白樺の里は、詳細は後述するが現在はほぼ管理業務が停止してしまっており、今後急速に荒廃が進む危険性を秘めている。
白樺の里の近隣にある三井不動産の別荘地(浅間高原別荘地)。路盤の古さなどは隠せないが、別荘地として申し分のない環境が今でも維持されている。


嬬恋村役場が発行した白樺の里周辺の地番図。作成者が誤認していたのか、実際の白樺の里の所在地とは位置がずれているものの「旧イソムラ別荘地」との記載がある。
僕自身はこれまで白樺の里はおろか、実は嬬恋村の別荘地自体一度も訪問したことがなく、土地勘もなければ事前知識もなかったのだが、今回幸運にも、以前より大洋村関連の情報提供を頂いていた知人の方より、この白樺の里の豊富な資料のご提供と、現地をご案内いただけることになった。
若い頃より関東各地の別荘地への関心が高く、現在ではご自身でも別荘地に関わる業務に就いている知人は、1996年に初めてこの白樺の里を訪問して以来、いくつかの同別荘地内の売物件の内見を通じて当時の管理会社との接触もあり、今ではほとんど利用者がいなくなってしまった同別荘地に関する貴重な証言をお持ちの方なのだが、それだけにここ数年で一気に荒廃が進んでしまった現状を憂いており、非力ながら僕が頂いた情報を基に記事を纏める運びとなったものである。という事で今回のレポートは、訪問時の感想や一部の情報を除き、基本的にはその知人の方が独力で収集した情報に基づいたものであることを最初に明記しておきたい。
さて、現地の模様をお伝えする前に、まずはこの白樺の里の開発・分譲から現在に至るまでの経緯を簡単に解説していきたい。やや退屈な話になるかもしれないが、この別荘地は現在に至るまで管理会社及びその管理体制の急激な改変や、複雑に入り組んだ権利関係など多くの問題を抱えており、それがすなわち今日の急速な荒廃の根本的要因となっているためである。退屈な話が続くとは思うが、これをあらかじめ解説しないと白樺の里の真の問題点をお伝えすることが難しいので、どうかご辛抱願いたい。
上の画像は、1975年6月5日付の読売新聞に掲載されていた、白樺の里の分譲当初の紙面広告である。一目見てお分かりの通り、白樺の里は当初から、別荘の実利用よりも、「ビラリース」と銘打った、貸別荘としての性格を全面的に打ち出した、まぎれもない投機商品として販売されていたものである。
レジャー志向の高まりに伴う宿泊施設の不足を見込んだ「堅実で最も有利な」「土地付高級貸別荘」であるとのことだが、往々にして、最初から賃貸経営を見込んでいるような建売販売の建造物というものは、販売価格を抑えて利益率を高めるため、建材や工法に手抜きが見られることが多いのは、改めて語るまでもなくご想像に容易いと思う。タイムリーな話題としては、2021年4月に八王子市で発生したアパートの外階段の崩落事故が記憶に新しいが、率直に言って白樺の里の別荘住宅も、永住は言うに及ばず、標高1000m以上の高地である浅間高原の厳しい冬を越すための充分な設備も備えられていないものが大半である。
サンハイツ白樺の里別荘地内。ここは比較的良好な状態が保たれている一画である。
別荘地の登記簿を見ると、いくつかの土地は「株式会社三宝工務店」なる会社がそれぞれ各所有者に所有権を移転していた形跡が見て取れる。この「三宝工務店」とは磯村建設の関連企業であり、閉鎖登記簿を確認すると、代表取締役の氏名は磯村建設のそれと同じものであることがわかる。もちろんその他に磯村建設自身や、磯村建設の販売部門である「磯村住宅販売株式会社」名義による所有権移転や抵当権設定の登記もある。
磯村建設の破産宣告は昭和60年(1985年)9月17日(東京地裁)だが、三宝工務店は平成8年(1996年)6月に、平成2年法律第64号附則第6条第一項の規定により解散の旨の登記がある。これは旧会社法で定められていた最低資本金制度(2006年の会社法改正により撤廃)の額に満たない、事実上の休眠状態にある法人登記に対するみなし解散のことであり、つまり三宝工務店は親会社である磯村建設と異なり、破産こそしていないものの、事実上、磯村建設の破綻とともに経営の実態はなくなっていたものと見ることができるだろう。
白樺の里のある別荘地(共有持ち分型)の登記簿。株式会社三宝工務店からの持分一部移転の登記が確認できる。
株式会社三宝工務店の閉鎖登記簿。代表取締役として記載されている「磯村禧久治」氏は、磯村建設の代表取締役と同一人物である。
株式会社磯村建設の閉鎖登記簿。三宝工務店の代表取締役と同一の人物である。昭和60年9月に破産の登記が行われている。
破産直前のものと思われる磯村のテレビCM。


ところがこのエイワンサービスもまた、平成27年に破産手続きが開始され(結局平成28年に費用不足により破産手続きが廃止されてしまい、エイワンサービスの登記簿はそのまま閉鎖されている)同社が所有していた旧磯村建設所有の物件はすべて差し押さえられて競売にかけられてしまった。その後の落札者は法人だったり個人だったり様々だが、エイワンサービス破綻後、この白樺の里の管理業務を受託する者はなく宙に浮き、今は事実上の自主管理となってしまっている。
コメント
1983年の噴火でとどめがが刺されたと思います。
北軽井沢の三井の森でも「火山灰の片づけをしました」との通知が管理事務所から所有者の自宅に届いたぐらいですから。
めちゃくちゃおもしろい。
磯村の物件は、一部世代に強烈な印象を残したCMとその立地&ネーミングの故に
未だに場所を探してみたのサイトや動画が複数存在してるくらいの人気物件ですからね(笑)
>>通りすがりさん
コメントありがとうございます。そうなんです。磯村物件は情報も多くて、訪問者も大勢いるみたいですね。この記事が、そんな磯村関連の情報収集の一助になればいいなと思っております。