20190504_123910
 当ブログは一応「限界ニュータウン探訪記」を名乗ってはいるものの、実際紹介している分譲地は、不動産市場全体から見ればごく小規模な分譲住宅地ばかりで、その立地や利便性は言うに及ばず、都市機能やインフラ面といった視点から見ても、そもそも単独で町として成立する要素を満たしておらず、到底「ニュータウン」と呼ぶに値しないものがほとんどである。

 昨今では商業メディアにおいても「限界ニュータウン」という単語を見かける機会がある(お断りしておくが、限界ニュータウンは僕の造語ではない)。だが、それらのメディアにおいて語られる「限界ニュータウン」は、多摩ニュータウンを筆頭に、都市部在住の方から見れば利便性に難があったり住民の高齢化が進んでいる「衰退した郊外」なのかもしれないが、当ブログに登場する崩壊寸前の限界分譲地と比較してしまうと、それは地上の楽園と呼んでも差し支えのない素晴らしい住環境であったりする。


 僕が住む千葉県にも、メディアで度々その名を挙げられる大規模な郊外型都市として「千葉ニュータウン」(白井市・印西市・船橋市北部)がある。これはわざわざこの場で改めて語るまでもなくよく知られた街であるが、1960年代から、県や宅地開発公団の主導のもとに、僅かに散村が点在するだけであった広大な北総台地上を大規模に造成・開発した街だ。京成線と接続する北総開発鉄道(北総線)を都心へのアクセス交通として整備し、当初は30万人以上の人口を見込んでいたものの、景気の低迷やバブル崩壊などで開発自体が思うように進まず、現在においても人口は10万人弱で、しばしばニュータウン開発の失敗事例としても挙げられる。
20190504_143001
県の主導の下、大規模に開発が進められた千葉ニュータウン(印西牧の原駅周辺)。
20190504_142636
街並みは整えられたが、計画当初の想定人口に達することはなく、都市開発の失敗例としても挙げられる。

 だが、千葉ニュータウン開発事業は、県の主導の下、巨額の費用を投入して進められてきた、県下最大の都市整備事業である。当初の計画想定人口に達しなかったからと言って、そうやすやすと整備事業を放棄できるはずもない。計画人口は大幅な下方修正を行ったものの、都市整備は現在も続けられている。

 そんな千葉ニュータウンが抱える課題の一つとしてあまりに有名なのが、その価格の妥当性をめぐって住民訴訟も行われた北総線の高額運賃であるが、もう一つ深刻な課題として指摘できるのが、千葉ニュータウンは自動車でのアクセスが非常に不便であるという点である。
20190504_135038
千葉ニュータウンの中央を貫く北総線。その高額な運賃を巡って住民訴訟が起こされたのは有名な話だ。

 千葉ニュータウンを含めた千葉県北部は、首都圏の高速道路網が行き届いておらず、今でも都心から千葉ニュータウンに自動車でアクセスする場合は、京葉道路の市川、あるいは花輪インターから、恒常的に混雑する狭い県道を延々と走らなければならない。私事になるが、僕は千葉に移住する前、東京でタクシー乗務員の職に就いていたことがあり、時折終電後に千葉ニュータウンまで酔客を乗せたことがあるのだが、暗くて狭い県道を幾度も赤信号に引っかかりながらノロノロ走るばかりで、時間がかかる割に一向に距離が伸びずメーターも上がらないので、千葉ニュータウンは嬉しくない仕事のひとつであった。
20190504_143108
都心方面への鉄道網は整備されているものの、ニュータウン内は自家用車での移動を想定した構造になっている。

 千葉ニュータウン内は、国道沿いに大規模すぎる商業施設が立ち並んだ典型的な郊外都市で、完全に自家用車での移動を想定した都市構造である。都心方面からの高速道路の延伸は、今となっては用地買収が極めて困難となり現実的ではなくなってしまったが、代わって近年は成田空港への自動車道路網の改善が進められており、北総線の路線脇に沿って、一般道路ながら一部区間の制限速度が70㎞に引き上げられた高規格自動車道路である「北千葉道路」の整備が行われている。

 周知の通り北総線は既に成田空港まで延伸が実現し、成田スカイアクセス線が都心から成田空港までの最速の交通手段となっているが、北千葉道路もまた、さる2019年3月に成田市の押畑まで部分開通し、千葉ニュータウン~成田空港間の自動車のアクセス性は大幅に改善された。あまり喜ばしいことでもないが既に新たな渋滞の名所も発生しつつあり、今後は千葉ニュータウンと成田空港間の人や物資の移動も活発になるかもしれない。「失敗事例」として語られる不名誉な評判もあるとは言え、千葉ニュータウンは優れた都市デザインと自然環境、豊富な商業施設に恵まれた郊外都市であり、羽田空港とは異なる役割を担った成田空港の新しい衛星都市としての飛躍を期待したい。
20190504_134534
豊富な施設と高規格な都市機能に恵まれた千葉ニュータウンが、成田空港の衛星都市として機能する将来を期待したい。

 さてだいぶ前置きが長くなってしまったが、もちろん今回の記事は、この千葉ニュータウンの訪問記ではない。都内から来れば、この千葉ニュータウンは不便な郊外かもしれないが、八街・山武方面から来てみれば、これのどこが「失敗例」なのか見当もつかない理想的なニュータウンであり、当ブログの題材としては全く相応しくない。今回訪問した「吉高台団地」は、おそらくこの千葉ニュータウンの開発計画を当てにして開発されたと思われるのだが、結局千葉ニュータウンの開発が到達する日は来ることなく、今なおニュータウンの圏外となったまま山林の合間に残されている、毎度おなじみの限界分譲地である。



 「吉高台団地」は、北総線の印旛日本医大駅からおよそ3㎞ほど。周囲を広大な水田に囲まれた印旛沼からほど近い丘陵の中にある。駅から3㎞というとさほど遠くないようにも感じるが、印旛日本医大駅は、駅周辺に数棟のマンションと分譲住宅地「いには野」があるだけで商業施設も乏しく、その名の通り大型の総合病院があるため駅舎や街並みは高規格だが、町としては非常に小規模なもので、この駅からさらに3㎞も離れているというのは実に心もとない。
20190504_123857
印旛沼。水質汚濁が激しいことでも知られる。
20190504_134812
20190504_134854
印旛日本医大駅。
20190504_134948
印旛日本医大駅周辺にも高層マンションや住宅は並ぶものの、居住エリアは広くなく、商業施設は乏しい。


 それもそのはず、この印旛日本医大駅は、現在でこそ印西市に属するが、2010年に印西市に吸収合併されるまでは、隣接する旧本埜村と並んで、印旛郡最後の村制自治体であった旧印旛村に属していたのだ。印旛日本医大駅の開業は2000年。それまで旧印旛村は鉄道駅もなく、稲作を主体とした農業を基幹産業として細々と運営されていた小さな村であった。


 ところが今回紹介する「吉高台団地」の開発は、それよりはるか前の70年代半ば頃から行われていて、80年代には既に入居が始まっている。千葉ニュータウンの開発計画は冒頭で述べたとおり60年代の半ばには既に開始されていたが、当時はもちろんこの印旛日本医大駅はおろか、それと並走する国道464号線もまったくの未整備であり、周囲はただ広大な水田と沼の他には小集落が点在するだけであり、辛うじて最寄り駅と呼べるのは、7㎞ほど離れた成田線の小林駅である。小林駅を含めた成田線の沿線は、駅周辺に比較的規模の大きい住宅地が広がるが、いずれも開発時期が古いうえ、運行本数が少なく都心へのアクセスが悪いため、今日においてはそれらの住宅地も人口の減少や高齢化に悩まされているのが実状である。

 そんな成田線からもはるか遠く離れた丘陵の奥にたたずむ吉高台団地。いくら近隣に大規模ニュータウンの開発計画があったとはいえ、その利便性の悪さは想像を絶するものがあり、いかに狂乱の開発ブームの只中といえども、さすがにこのエリアで宅地造成が行われたのは吉高台団地ただ一つであり、周囲に同様の分譲地は今日においても一切ない。印旛日本医大駅と、隣の成田湯川駅の間に新駅が増設される可能性など限りなく0%に近く、北千葉道路の整備に伴い、団地前の国道464号線も県道に格下げされ、坪単価は千葉ニュータウン内のそれと比較して10分の1ほどにまで暴落し、吉高台団地は紛れもない限界分譲地として不動の地位を築いてしまっている。
joukuu
1985年に撮影された吉高台団地(赤枠内)の上空写真。北総線も国道も未整備で、周辺に市街地は一切ない。右上に見えるのは印旛沼(国土地理院航空写真より)。
20190504_133443
吉高台団地入口の看板。

20190504_133426
吉高台団地に面する県道12号線。国道464号線の旧道である。
20190504_131052
20190504_131523
団地の周囲には、資材置き場の他は雑木林が広がるのみである。

 団地は丘陵の斜面に造成されているので、団地の中は勾配がきつい。少し進むと、団地内にベンチが置かれたバス停があり、ちょうどなの花交通の小型バスが通過していた。京成佐倉駅から印旛日本医大駅を経て、成田線の小林駅までを結ぶ、3路線アクセス可能なバスであるが、運行本数は少なく、祝日ということもあってか乗客は0であった。しかし、吉高台団地程度の規模の分譲地で、団地内部まで路線バスが入り込むケースは珍しい。多くの限界分譲地においては、自治体運営のコミュニティバスの路線網も考慮されることはなく、近隣の既存集落近くに設置されたバス停の利用を強いられ、利用客が少なければその路線すら廃止されるケースが多いからだ。
20190504_130823(1)
20190504_131406
斜面に造成されているため団地内は傾斜がある。
20190504_133147
団地内に設置されているなの花交通バスの吉高台停留所。
20190504_133131
吉高台団地内を通過するなの花交通の小型バス。

 団地はさして広くもないが、少し奥に進むと、公園と集会所があった。集会所からは大勢の人の話し声が聞こえ、どうやら地域の集まり事が催されているらしい。公園はきれいに整備され、遊具の状態も悪くない。限界分譲地にある公園は、既に地域から子育て世代が消えてしまったがゆえに、遊具がさびて朽ち果てていたり、雑草が伸び放題でそもそも立ち入りすら困難になっているところも少なくないのだが、この公園はまだ子供が利用しているようだ。訪問時には子供の姿は見掛けなかったが、そう推察できる根拠として、公園の近隣の住宅に児童向けの英会話教室の看板が掲げられていたということもある。これまで訪問した限界分譲地で、子供向けの英会話教室や学習塾の存在を確認したのは、これが初めてのことである。
20190504_130751
団地内の集会所と公園。非常に綺麗に管理されている。
20190504_132518
公園近くの住宅に掲示された児童向け英会話教室の看板。

 団地内の家屋もよく見れば、大半の家屋は80年代から90年代頃の建築と思われるものであるが、中には築数年程度しか経過していないと思われるものもあり、一方で、はっきりと空き家と確認できる家屋は見当たらず(微妙なものはある)、空き地に建つ看板も、おなじみの草刈り業者だけでなく、一般の仲介業者によるものもあり、通常、流通性を失った限界分譲地の土地などは一般の仲介業者は目もくれないので、ここは僅かではあるが人口の流入は続いているようだ。

 この利便性で新規の移入が続いているのは驚かされるが、考えてみれば、そもそもこのエリアでは、地価の安さを追求したら吉高台以外の選択肢がなく、北総線沿線の住宅地であれ、結局は日常生活においては自家用車がなければ苦労を強いられるのだから(千葉ニュータウンの商業エリアは徒歩で回れるレベルの規模ではない)、車で移動すればニュータウンまでさして時間もかからない吉高台団地を選択する住民がいるのも、別に不思議なことではない。
20190504_131111
団地内は特に荒れた印象もなく、静かな住宅地だ。
20190504_131101
団地内には築浅の住宅も見かける。
20190504_130952
一般の仲介業者が立てた広告看板。
20190504_131635
もはや定番となった日栄不動産の看板もある。茂原の会社なのに、こんな遠くまで手を伸ばしているのには驚かされる。

 とは言え、団地内にはいまだ多くの空地が残されている。しかしそれらの空地をよく見ていると、その多くは、やはり高低差の大きい擁壁上にあり、中には、詳しく調べてみないと断定はできないが、擁壁の規格が新しいものには見えないので、がけ条例に抵触して、事実上まともな家屋が建てられない宅地も複数存在するのではないかと思われる。この団地は元々かなりの急斜面を造成して開発されているようで、この辺りの問題点はこれまで紹介した限界分譲地とまったく同じだ。開発時期も古いので、率直に言って団地内の街路も広いとは言えない。
20190504_131856
擁壁上の空き地。高低差が大きく、売れ残るのもうなずける。
20190504_131919
宅地に隣接して大きな崖地があり、擁壁の規格が今日の建築基準法に適合していなければ、事実上住宅建築は不可能だ。
20190504_132038
20190504_131134
かなりの急斜面に造成されたようで、高低差が激しい。

 ところがこのような、問題の多い、およそ利便性とは無縁な団地でありながら、ここは公共の上水道が敷設されている。更地には既に水道管が引き込み済みで、止水栓の蓋もまだ新しい。さすがに下水道は配備されておらず、団地の最下段で集中浄化槽が稼働していたが、上水道の普及率が低い千葉県において、こんな僻地の分譲地にまで上水道が配備されているのは、印西市の財政状況が比較的良好なのも理由であろうが、もう一つ、やはり何度も繰り返しているように、周辺に他に限界分譲地がない、という点も影響していないだろうか。
20190504_132625
宅地内に引き込まれた公共上水道の止水栓。
20190504_131849
下水道は配備されておらず、集中浄化槽が設置されている。

 八街や山武周辺に無数に存在する限界分譲地の多くは、上水道は全く配備されていないが、これは、自治体の財政状況が悪いことに加え、そもそも市域全域にわたって分譲地が乱開発されていて、到底効率的に配備しきれない、という事情がある。僅か数戸しかない、いつまで人が住むかもわからない、畑や森の中の無数の分譲地に向けて、毛細血管の如く延々水道管を埋設するなど無駄の極みであり、おそらく今後も上水道が届くことは永遠にないであろうが、これが吉高台団地の場合、語弊があるかもしれないが、周辺に「ライバル」が存在しないがゆえに、先の路線バス然り、この上水道然り、要は、行政サービスの目が届きやすいのではないか、と推測できるのだ。

 今の時代、行政サービスに過大な信頼を寄せるのは禁物ではあるが、それにしても住民のみで行う自主管理など所詮限度があり、その管理が行き届かなくなった限界分譲地の無惨な実情を、僕はこれまで紹介してきた。今回、以前からその存在は認識していたものの、開発動機が異なるために後回しにしてきた吉高台団地を訪問して、よりその確信を深めたのは、もし今の時代、こうした超郊外の分譲地への居住を考えるのであれば、ある一定レベルの存在感を示す分譲地でなければ、居住を続けるのは相当の覚悟が必要だ、ということである。否、これは分譲地だけでなく、もしかしたら一般の既存集落でも同じことが言えるのかもしれない。すなわちそれは、人口減の時代において、居住地域の取捨選択が始まっているということであり、「捨」の地域に取り残された住民の存在を思うと(僕もその一人なのかもしれないが)、何ともやりきれない思いにとらわれるのである。
20190504_132657


吉高台団地へのアクセス



印西市吉高
・東関東自動車道佐倉インターより車で約30分
・京成本線佐倉駅・北総線印旛日本医大駅・成田線小林駅よりなの花交通バス「六号路線」 「吉高台」バス停下車