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 1970年代の後半より、バブル崩壊後の90年代初頭にかけて、全国に類例を見ないほどの無秩序な別荘地の乱開発が進められてきた茨城県旧鹿島郡大洋村。それは開発ブームのさなか、次々と村外業者の手に渡った山林が、折からの別荘ブームに乗じて首都圏近郊の別荘地として転用されたもので、最盛期には、10社以上もの開発業者がこの小さな村で我先にと開発競争を繰り広げる事態となった。1986年発行の「大野村・大洋村」のゼンリンの地図には、販売済み、あるいは開発中の別荘地のうち、開発業者名の判明しているものについてはその名称が記されているが、そこには「メイキング」「ユートピア」「オーシャンロッジ」「サニーランド」「大正恒産」「ジャパンランド」「サンリビング」「オレンジホーム」…などなど、幾社もの開発業者名を確認することが出来る。

 だが、現在の大洋村において、当時の社名のまま今も開発事業を続ける業者はひとつもない。「メイキング」のように、別荘地の管理業務を関連会社(かしま野管理サービス)に引き継ぎ、開発事業を含めた不動産事業全般から手を引いて軟着陸に成功した会社もあるが、大半の業者は、バブルの崩壊とそれに伴う別荘地ブームの終焉、そして1991年の大洋村の都市計画区域指定によって、開発許可が不要な範囲で小規模開発を繰り返すビジネスモデルが成立し得なくなり、地域に乱開発の深い傷跡を残したまま霧散していったのだ。
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倒産した開発業者のひとつ「オーシャンロッジ」の看板。現在も撤去されることなく幹線道路沿いの至る所に遺る。
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利用者もなく、荒れるに任せた多くの別荘が今も山林の奥深くで放置されている。

 そんな開発業者の中で、最盛期の80年代、最も乱暴な形で開発・分譲を推し進め、そして最も無責任な形でその負の遺産を遺したまま散っていった会社のひとつに「株式会社キョーエイランド」という会社がある。大洋村開発に参入した業者の中では比較的後発のところと思われるが、このキョーエイランドの設立から破綻に至るまでの過程こそ、まさに大洋村の乱開発の歴史の縮図そのものであり、今回は、このキョーエイランドにスポットを当てて、大洋村の別荘開発の歴史を簡単に振り返る探索に出かけてみたいと思う。
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別荘地に残る「キョーエイランド」の看板。

 手元に、読者の方よりご提供いただいた、キョーエイランドが別荘購入者に向けて配布していた建売別荘のカタログのコピーがある。「心も体も自然の中で 農園ロッジ 茨城県大洋村 土地付建売別荘タイプ集」と銘打たれたそのパンフレットは、10ページほどの薄いものだが、印刷はオールカラーであり、AタイプからFタイプまで、6種もの建物プランが今日の感覚で見ても美麗で精巧なイラストで描かれた豪華なものだ(文末に参考資料として全ページ紹介してあります)。巻末には、開発間もないキョーエイランドの別荘地の模様を捉えた写真も複数掲載されていて、まだ周囲がジャングルと化すこともない、当時の別荘地の模様を垣間見ることが出来る(ちなみに今回の記事で添付している別荘地の画像は、注釈のないものも含めて、すべてキョーエイランドが開発した別荘地のものを採用している)。
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キョーエイランドが頒布していた建売別荘のカタログ。(読者様よりご提供)

 カタログには、当時のキョーエイランドの社屋の写真も掲載されていて、裏表紙には、「地元業者」と肩書を打ってキョーエイランドの連絡先が記されている。だが、そこに記された本社の所在地は東京の代々木であり、免許番号も東京都のものだ。このカタログで紹介されているキョーエイランドの社屋は、同社が大洋村撤退後も長く現地に残されていて、潮風に晒され荒れ果てていく一方だったらしいのだが、その社屋も数年前に取り壊され、今は門扉も閉ざされた敷地内に当時のモデルハウスが数棟、廃屋となって残されているのみである。
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パンフレットには、営業当時のキョーエイランドの社屋も掲載されている。
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本社を代々木に置いたまま、厚かましくも「地元業者」を名乗る。
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大洋村(現・鉾田市)飯島の国道51号線沿いに今も残るキョーエイランドの看板。

 敷地の登記情報を調べる限り、この社屋があった土地は借地であり、つまるところ都内の業者が大洋村の借地に現地事務所を開設し営業していただけの話で、これでよくもぬけぬけと「地元業者」を名乗れたものだと、その面の皮の厚さに感心するほかないが、大洋村で開発事業を進めた業者は、このキョーエイランドに限らず、そのほとんどが開発ブームのさなかに大洋村に進出した都内の不動産業者である。全盛期にはこの敷地内にテニスコートを設け、自社の別荘購入者向けに開放していたようだが、そのテニスコートも今は雑草に覆われ、もはや見る影もない。
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キョーエイランド現地管理事務所跡。奥に数棟のモデルハウスの廃墟が残る。
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モデルハウス跡の写真。(読者様よりご提供)

 そんな「キョーエイランド」は、閉鎖された法人登記簿を確認すると、その設立は1969年(昭和44年)まで遡る。当初は「ヤマヨ総業株式会社」という商号で設立されているが、本店の所在地は後のキョーエイランドと同番地である。設立目的は不動産売買の他に、飲食店や喫茶店の経営なども含まれており、支店は千代田区神田富山町や新宿区西大久保の他に、鹿島郡鹿島町(現・鹿嶋市)にも設置されていて、設立当初よりこの鹿行エリアの開発を手掛ける目論見があったものと推察される。

 その10年後の1979年、ヤマヨ総業と同じ取締役であるF氏(仮名)によって、新たに代々木の同番地に「共栄不動産株式会社(1983年に株式会社キョーエイランドに商号変更)」が設立されている。設立目的には「ヤマヨ総業」の設立目的にはなかった「土地の造成・埋立」が新たに加えられていて、ここからいよいよキョーエイランドの大洋村開発の本格参入が始まったものであろう。
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「株式会社キョーエイランド」と、その前身である「ヤマヨ総業」の閉鎖登記簿の写し。
 
 さて話は少し変わるが、大洋村の古い別荘地を見て回っていると、ある一つの特色を見て取ることが出来る。バブル期以前に開発された大洋村の古い別荘地は、その多くが市街地から離れた山林の奥に位置しているが、70年代後半、別荘開発が始まった当初の別荘地は、それなりに大掛かりな規模で造成工事を行い、一般の郊外住宅地で見られるようなひな壇の宅地を構築したうえでミニ別荘が建てられているのだが、やがて時代が下るにつれ、土地の形状にはほとんど手を加えることもないまま、急傾斜の斜面にそのまま強引に別荘を建てたものが目立つようになってくる、ということだ。
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急傾斜地の斜面上にそのまま建てられている別荘。時代が下るにつれてこのような仕様が多くなる。

 これはつまり、業者間の開発・分譲の競争が過熱するにつれて、造成や埋立工事の費用や時間も惜しんで分譲・販売サイクルを高めた結果であることは容易に想像がつくが、こうした急傾斜地上の別荘地においては、コンクリート製のものに更新されて使われなくなった古い電柱を基礎として再利用した、所謂「電柱物件」が多数乱造され、今もその多くが廃墟となって残されている模様は、当ブログでも紹介している。
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 電柱物件の別荘は、複数の販売業者によって施工されていたのだが、実は今回紹介する「キョーエイランド」こそまさに、地元の仲介業者に「傾斜地と言えばキョーエイランド」とまで言わしめたほど、こうした急傾斜地物件の販売を積極的に行っていた会社である(基礎に鉄骨を用いているものも多い)。よく見ると、先に紹介したパンフレットの写真でも、基礎に電柱が使われている別荘を確認することが出来る。なお、探索当時は知らなかったが、以前投稿した「維持管理の差がもたらすもの【後編】」の記事で紹介した、鉾田市青山の傾斜地の別荘地も、このキョーエイランドの手によるものだそうである。
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販売カタログに掲載されている、キョーエイランドの電柱物件。

 今回、当記事を作成するにあたって、キョーエイランドが開発した別荘地をいくつか訪問してみたのだが、そのいずれもが、ほとんど崖と言っていいほどの急斜面に展開されており、周囲が荒れて山林と化した今となっては、繁みに覆われ地面の位置も定かではなく、多くの家屋も朽ち果て、敷地にむやみに足を踏み入れるのも危険な別荘地ばかりであった。そもそも農地として利用されてこなかった、こんな植木鉢1つまともに置けそうにない山林の急斜面の建物が、「農園ロッジ」と呼ぶに値する利用方法が可能なのか、全くもって疑問で仕方ないが、実際、再建築も叶わないキョーエイランドの別荘は今では未利用物件が非常に多く、他の開発業者の別荘地と比較しても荒れ果てているところが少なくない。
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キョーエイランドが開発した急斜面の別荘地。管理は悪く、荒れている。
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使い勝手の悪い電柱物件は利用者もなく、年月を経るごとに山林に埋もれていく。
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山林に埋もれ、敷地へのアプローチもままならないキョーエイランドの電柱物件。
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老朽化した別荘は斜面の上で崩落し、植樹された木も大木となり重機による取り壊しも難しい。

 そんなキョーエイランドの別荘物件であるが、時はまさに土地投機ブーム真っただ中の80年代。今となっては引き取り手を見つける事も困難なほどの、この悪条件の別荘でさえ、次々と買い手が現れ、その売上金を元に、キョーエイランドはさらに新たな別荘地の開発を繰り返していくことになる。しかし、その経営状況は、バブル期の不動産屋のイメージとして想像されるほどの「濡れ手に粟」と呼べるものではなかったようである。

 実はキョーエイランドの法人登記自体は、2020年8月現在でも残されている。キョーエイランドが大洋村から撤退した正確な時期は定かではないが、現在のキョーエイランドの法人登記は、おそらく代表取締役であるF氏の自宅が存在していたと思われる東京都江戸川区本一色を本店所在地として登記されている。ところがこの現在の本店所在地の土地の登記事項証明書を取得して見てみると、キョーエイランドは1986年より、おそらく取締役の親族関係者と思われる人物と連名で、この本一色の土地を抵当に入れ、巨額の借入を繰り返していた痕跡が残されている(親族関係者の単独名義のものもある)。
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キョーエイランドの法人登記が残されている江戸川区本一色の本店所在地。現在はマンションが建てられている。

 その額は、1986年に3000万円を借り入れた際に設定された1番根抵当権が、翌年にその極度額が1億4000万円まで増額したのを皮切りに、1988年に設定された2番抵当権で1億7000万円、1990年の3番抵当権で8000万円、1992年の4番抵当権で4000万円と、総額にして4億3000万円もの抵当権が設定されていた模様が確認できる。その後抵当権の順位変更が行われ(債権者はすべて同一の金融機関)、当初の2番抵当権だけは1997年に解除されたようだが、予想通りというか、2003年に債務不履行によってこの本一色の土地は差し押さえられて競売にかけられ、現在は異なる法人の所有となり、7階建てのマンションが建てられている。つまり法人登記上の所在地こそ残っているものの、法人自体は既に経営実態のない休眠会社となっているということである。

 ことほど左様に、キョーエイランドの開発事業は(バブル期における不動産事業の多くは同様なのかもしれないが)、金融機関からの巨額の借り入れを担保に初めて成立しえたものであり、歯止めが利かないその横着かつ荒っぽい乱開発も、おそらくそうしなければならないほどの自転車操業であったことが推察されるが、そんな大洋村における別荘開発ブームの終焉も近くなった1990年2月、キョーエイランドはひとつの事件を起こしてしまう。1990年2月24日付の読売新聞と朝日新聞の社会欄の片隅に、以下の小さな報道記事が掲載されているので、まずは両者の全文を引用する。


・上水道完備装い分譲 公取委が排除命令 (読売新聞1990年2月24日付)
 
 高齢者が第二の人生を送る土地として人気が高い茨城県大洋村の土地を、実際には上水道がないのに完備しているように見せかけて宣伝、分譲していた東京都内の不動産業者に対して、公正取引委員会は二十三日、不当景品表示法違反にあたるとして排除命令を出した。
 この業者は、渋谷区代々木一の三〇、株式会社「キョーエイランド」。命令によると、同社は、昨年四月広告ビラ百万枚を、都内や埼玉、千葉県で配布、最大三十度の傾斜地の大洋村・小松平の分譲地十八区画を、「ここぞ将来のやすらぎの土地」と売り出し、飲用水は井戸を掘るしかないのに「水道/市営水道完備」などと表示。家屋を建てる際の費用も、基礎、水道工事費を含めずに表示して売っていた。


・傾斜地伏せて折り込み広告 公取委、業者に排除命令 (朝日新聞1990年2月24日付)
 
 別荘地などとして注目されている茨城県鹿島郡大洋村の土地を売り出す際、新聞折り込み広告に偽りの内容を載せたのは、不当景品類及び不当表示防止法違反に当たるとして、公正取引委員会は二十三日、東京都渋谷区代々木一丁目、キョーエイランド(F(引用者注:本文は実名)代表取締役)に排除命令を出した。
 調べによると、キョーエイランドは昨年四月、大洋村飯島小松平の土地十八区画を売り出し、東京都内や千葉、埼玉県内で新聞折り込みの広告計百万枚を配った。しかし、土地の四分の一は三〇度以上の急傾斜地なのに、そのことを載せなかった。また「私営水道完備」としていたが、実際には水道設備はなかった。
キョーエイランド排除命令報道記事
キョーエイランドに対する排除命令が出されたことを報じる読売新聞と朝日新聞の新聞記事。

 キョーエイランドに出された公正取引委員会の排除命令の全文は、こちらも文末に資料として添付してあるので目を通していただければ幸いだが、排除命令の内容をかいつまんで説明すると、要はキョーエイランドは、この問題となった大洋村飯島小松平の別荘地の広告で、ありもしない水道設備を謳い、その水道工事費用はおろか、基礎工事費用すら含まれていない施工費を販売価格として打ち出し、更にはまともに歩行もできない急傾斜地であることも伏せ、四m舗装と謳われた私道も、その距離は全体の一割にも満たないものであるとのことだ。
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排除命令の添付資料の写しのため不鮮明だが、問題となったキョーエイランドの折り込み広告。

 さすがに以前当ブログで紹介した北海道の原野商法の新聞広告と比較すれば、虚偽広告の度合いはマイルドとは言え、これではお世辞にも誠実な販売手法とは言えない。排除命令では触れられていないが、この折り込み広告にも、お得意の「地元業者です」のコピーが踊り、広告中央には「資産価値上昇中!」と、当ブログの副題とは真逆の売り文句が誇らしげに打たれているが、これも今日の感覚で言えばなかなかに微妙な表現である。

 ちなみにこの広告で販売された小松平の別荘地は今でも残されており、居住者も少ないながら存在するが、キョーエイランドの他の別荘地同様、やはり別荘地内を歩き回るのも億劫になる急傾斜地であり、知人によれば、以前この別荘地内の中古別荘が90万円で販売されていたそうである。資産価値上昇も何もあったものではない。
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販売広告の虚偽記載に対し、公取委より排除命令が出された飯島小松平の別荘地。冒頭で紹介したキョーエイランドの別荘地の看板は、この小松平に残されていたものである。
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末期の別荘地のため、基礎は電柱でなく鉄骨が使われているが、恐ろしいほどの急傾斜地に家屋が建つ。
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「四m舗装」と広告に謳われた別荘地内の私道。実際は三mにも満たない。
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今でも利用されている別荘も数棟見受けられる。

 
 さて、巨額の借入を繰り返し、急傾斜地の乱開発や虚偽広告によって自転車操業を続けていたキョーエイランドであるが、最末期はその金融機関からの借り入れも難しくなり、取締役のF社長自ら金策に走り回らなければならないほど資金繰りに追われていた模様である。伝え聞くところによれば、現在も大洋村で仲介業務を続けるある不動産業者の先代の社長のもとに、ある時突然F社長が訪問するなり、店先で土下座して借金を懇願されたそうだ。

 その際、たまたま中古住宅の売上金が手元にあり、その社長は返済を期待せずに、いわば武士の情けとして同業者であるF氏に100万円を貸与したそうなのだが、言うまでもなくその返済も行われないまま、遂にキョーエイランドは、借地に建てた事務所やモデルハウスもそのままにして夜逃げしてしまう。その後の顛末は先にも述べた通りで、存命であったとしてもすでにかなりの高齢であるはずのF氏の消息を知る手がかりはもはやない。そして、大洋村で長年続けられた乱開発もまた、バブルの終焉と共に終止符が打たれ、その後の大洋村は、今日に至るまで、当時の膨大な中古別荘のストックが売買される、廉価な別荘地として位置付けられていくことになったのである。
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巻末資料① 「キョーエイランド 土地付建売別荘タイプ集」
キョーエイランド001
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キョーエイランド005
キョーエイランド006
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キョーエイランド008
キョーエイランド009
キョーエイランド010
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キョーエイランド012


巻末資料② 「公正取引委員会 平成二年(排)第一号 排除命令 (株)キョーエイランドに対する件」
キョーエイランド公取委001-2
キョーエイランド公取委002
キョーエイランド公取委003
キョーエイランド公取委004
キョーエイランド公取委005
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