貸家だけの限界分譲地

旧サブブログ: 海辺の限界分譲地

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 東京から愛媛県の限界集落に移住したあるYouTuberが、集落内の人間関係に思い悩み離村することになったとの報道記事を目にした。田舎の集落の人間関係の濃密さや、ある種の閉鎖性はよく語られるもので、僕自身過去に思い当たる節がないわけではないし、実際僕が発信内容を分譲地に限定し既存集落への関心を示さないのは、そうした地域での生活が成功しなかったという自身の経験もある。

 翻って、僕が取り上げる限界分譲地ではそうした村八分的な問題は起きないのかというと、そんなこともないとは思う。既存集落であれ限界分譲地であれ、結局は固定された少人数の人間の集団なのだから、当然住民間のトラブルや、時には排除の論理が働くことだってあるだろう。

 ただし限界分譲地の場合は農村集落と違い、比較的規模の大きな住宅団地でもない限り住民同士が寄り合って行われる催事の類がなく、近所の住民とはいえ生業もバラバラである。自宅の駐車場から自動車で移動を始める生活では、少し離れた家のご近所さんと顔を合わす機会も限られる。

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 僕が住む分譲地は現在5世帯が暮らしているが、僕や妻がよく話すのはうち1世帯のみで、残りは普段の交流がほとんどない。別に避けているわけではなく、顔を合わせれば挨拶はするのだが、それ以上の交流が発生しないのだ。そのため、僕の住む分譲地では現状村八分など起こり得ないというか、地域には、特定の誰かを排除するほどの結束力もないというのが実情である。

 僕の分譲地は、我が家を含めて、居住者のいる5戸のうち3戸が借家ということも、人間関係が希薄な要因の一つとしてあるかもしれない。

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 僕はこれまで、分譲地内の共用部が管理されず荒廃する模様を幾度となく報告してきたが、つまるところそれは地域の結束力が弱いがゆえの管理不全ということなので、希薄な人間関係を全面的に是認することにも抵抗はある。それでも冒頭に紹介したような事例が相変わらず報告されるのを見てしまうと、分譲地の荒廃を問題として報告する一方で、自分はやっぱりそんなところで暮らすほうがいいのかなという気もしてくる。

 地価の安い限界分譲地の戸建ては売値も安く(最近は少し値上がり気味だが)、投資物件として購入されるケースも多い。こうした投資物件への転用も、必ずしもすべてがすべて地域に好影響をもたらすものではないのかもしれないが、そもそも限界分譲地の物件は所有そのものに一定のリスクを孕んでいるものだし、もし借家への転用によって、今の時代では歓迎されないような人間関係が生まれる可能性が軽減されるのであれば、むしろこの際、すべての住戸が賃貸物件に転用された限界分譲地があってもいいのではないか、とも思えてくる。

 もちろんそうなると、従来の自治会システムや住民コミュニティで成り立っていた部分が欠損してしまうことになるので、賃貸経営者も、また住民である借り手自身にも、その欠損部分をカバーできるだけの自助努力も必要になってくるわけなのだけども。

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コメント

  1. Илья Курьякин より:

    テレビ局の情報番組で「田舎暮し」を勧め、当の地元の方々もテレビの前だから「愛想」はいいけど、いざ住んでみると…的な話はよく耳にする。
    都会地でも、昔から持家世帯ばかりで、何世代も住んでいて的な地域だと、賃貸住まいの新参者なんか馬鹿にして…と言う街もある。
    かく言う私の両親も、そんな地域に、何の伝も無く住み着いて精神面で苦労したと、特にお袋さんが零していた。
    親父はそんな事やお袋の苦労には無頓着(お袋に言わせると、裕福な家庭から零落したお坊っちゃま気質の極楽蜻蛉と、揶揄していた。)。
    私は、寄るべき「郷土」が見出だせないから住んでいる土地への愛着心、郷土愛が全く無い。

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